僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

昭和の終わり、平成のはじまりの日

飲酒歴40年、断酒歴2年と8か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、平成を振り返る・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


昨日も書きましたように、
僕たちは一つの時代というか、一つの元号のはじまりと終わりを目撃し、経験することになりそうです。

今日は、その最初の一日を思い出せるだけ思い出してみたいと思います。


1989年1月7日(だったと思います)、昭和天皇崩御されました。


まずそのころの僕のスペックです。

年齢:30歳
職業:大学非常勤講師、ピアニスト
未婚、年収約450万円。

昼間の仕事として4つの大学・短大で非常勤講師の掛け持ちをしていました。
また夜のアルバイトとしまして、京都は木屋町にあったそれほど広くはないラウンジの専属ピアニストをしていました。

当時の趣味はバイクとパチンコ。

バブルの恩恵にそれほど浴してはいませんでしたが、
まあまあ、独身貴族だったかな。


もちろん、酒は毎晩頂いてましたし、
夜の仕事のピアニストとしては、
お客さんの相手をしながら酒をごちそうになり売り上げに貢献してましたので、
プライベートと仕事の両方で浴びるようにいただいていました。



昭和天皇崩御の報はラジオで知りました。

その日はまだ大学の授業は始まってませんでした。

また、夜の店も休業になるという連絡が入りました。


夜の仕事がなくなったことを知った僕は、競技用のオートバイを軽トラに積み込み、
バイク・トライアルの練習場に向かい、
一人でトライアルの練習をしました。


なぜ天皇陛下のお亡くなりになった日にそんなことをしていたのか、
理由は全く思い出せません。

でもそんなに心がはずんでいたわけでもなかったように思います。


そして一層、不埒なことにその夜、パチンコ屋さんで、
シャトル21」という、アレパチ一発台で大当たりをゲットし、
たしか、1万円ほど、お小遣いをもらったことを覚えています。


こんな風に書いてみると、
僕の昭和の最後の日は、
どんでもなく浮かれた過ごし方をしたように見えますが、

でも先ほども書いたように、心ははずんではいませんでした。

かといってもちろん、悲しみに暮れていたわけではもちろん、ありません。


思えば、世間の中で暮らし、世間の荒波にはもまれながらも、
時代の流れにはそれほど乗ってこなかったような僕の人生を象徴するかのような一日だったと思います。

周りに流されず、自分自身の流れのようなものを大事にしていくことができる、
この勘違いが僕のアル中人生の大きな前提条件だったかもしれません。

平成のはじまりの頃についても、またころ合いを見て思い出してみたいと思います。


今日は昔を振り返りましたが、
もちろん、いつものように明日に向けて締めます。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。