僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

平成の直前、僕のバブル

飲酒歴40年、断酒歴2年と8か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、時代を振り返ります・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


平成が始まったのが1989年1月初旬。

そして来年、この元号によってくくられることになる時代が終わりを迎えます。

僕の平成振り返りブログ、
今日は、平成の直前の僕の様子を思い出してみます。



一昨日にも書きましたが、
平成が始まった時、独身の僕は、
2種類の非正規雇用の仕事で、ある程度の年収を稼いでいました。

一つは美大を中心とした大学の非常勤講師、

そしてもう一つは小さなラウンジバーの専属ピアニスト。

どちらも明日から始めようと思って始められる仕事ではありません。

ただしどちらの仕事も特別な資格は必要とはしません。

あえてカッコつけて言えば、実力と経験以外に頼るものはないキャリアです。


僕自身は、平成の寸前に日本の一部が浮かれ狂っていた、
いわゆるバブル景気の恩恵を直接受けたことはありませんでした。


しかし、1986年、昭和61年、僕の人生に突然の好景気が訪れました。



それまで週に2コマ程度であった非常勤講師の仕事が、
一挙に8コマ、時には10コマまで増えたのです。

この年、勤め先が2校増えました。
しかも一つの短大では、週6コマの実習授業の担当を依頼され、
この仕事によって、10万円以上、月収が上がったのです。


僕にとって突然降ってわいてくれたバブル景気でした。

週に10コマの非常勤講師の仕事と、
夜のピアニストとしての業務。


はっきり言います、
若く、独身であったからこそ、こなせたスケジュールでした。


そしてこの頃は、
それぞれ非常勤先で知り合ったアーティストの卵や研究者の卵たちと、
お互いの希望を語り、時に勤務先への前向きな愚痴を語りながら、
実に陽気な酒を飲んでいたように思います。


すでに習慣飲酒者にはなっていましたが、
おそらくまだ依存は形成されていなかったはずです。


独身の身には十分な収入があり、

未来について明るく真剣に語り合える友がいました。


精神に負担をもたらすような飲酒ではなかったと思います。


若かったからなのか、
あだ花のような高収入状態からだったのか。

とにかく、ご機嫌に酒を飲み散らかしていたと思います。



でもそんな僕のバブルの時代にも辛い出来事がありました。

そしてそのため、飲酒量が一気に増え、体重が突然、増え、
不細工になりました。

その話はまた日を改めます。


ようやく過去を振り返ることもできるようになった精神状態を維持するために

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。