僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

平成前夜の笑い話

飲酒歴40年、断酒歴2年と8か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、今となっては笑い話・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。



昨日も報告しましたように、
平成直前の僕は、
少なくともお財布状態だけはちょこっとバブルを享受していました。


1986年、昭和61年から急に仕事が増え、
月収が上がりました。

そしてその中で僕の中で結婚願望が勝手に盛り上がりました。


そんな中、たぶん、88年、昭和63年だったと思いますが、
僕はある女性と結婚の約束を交わしました。


その女性は、
僕がピアニストとして勤務していたラウンジのホステスさん、

いわゆる商品に手を付けてしまったというパターンです。


僕たちは急速に仲良くなり、
結婚しようということになりました。


でも今思えば、
いつ結婚するという話は全くしていませんでした。

たぶん、彼女も僕も、結婚するという気持ちだけが全てを支配し、
判断力が減退していたと思います。


しかし突然、終わりがやってきました。

彼女はほかの男と急激に深い中になっていったのです。

その新しい男は、
店の常連の一人でした。


今でも破局が明らかになった時の細かな事実の経過については、
冷静に思い出すことができません。

彼女曰く、
私はシャボン玉のように次から次へと新しい男の人へ移っていく、
というのです。

彼女のこの告白は嘘ではなかったと思いますし、
僕と結婚しようと思っていたというのも嘘ではなかったと思います。

が、

あまりにも突然過ぎました。

その時の僕は、ホンマに死んでもいいと思い、

彼女との別れが決定的になった夜が明けた後の早朝の帰り道、
全ての交差点を信号無視しながら猛スピードで車を走らせました。。

不思議に事故を起こすことはなかったのですが、


その日からの僕の酒量は、急増しました。


僕も彼女も店を辞めることはなく、
何事なかったかのように一緒に働いていました。


もちろん、お店のママさんにはバレてました。


仕事中はいつものようにお客さんの驕られ酒を思い切り頂き、
部屋に戻ってからは、涙が枯れて眠るまで飲みました。

ホンマに「酒と泪と男と女」、そのままでした。


僕の体重は少しづつ増えていきました。

どうやって立ち直れたのかも、思い出すことができません。

でも、ありきたりですが、時間の経過が解決してくれたんでしょうね、きっと。



この時はまだ若かったこともあり、
また、よく考えれば未来全てが否定されたわけでもなかったので、

過剰な飲酒は、まるまると不細工な顔とおなかを形成しただけで済みました。


幾つかある僕の人生の失敗の一つですが、

今となっては笑い話のネタにされても仕方ないなと思えるくらいになっています。


僕の失敗はまだまだありますが、
もう笑えない話ばかりですので、
ここで披露することはないと思います。


すみません、若気の至りの悲喜劇を吐いてしまいました。

でもいつものように前を向きます。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。