僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

大学の名称問題

飲酒歴40年、断酒歴4年と7か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル61。

本日もリスボンの、今日は業界噺・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日は全く断酒ライフとは関係のない話です。

一応、僕の仕事に関わる話題ということで。

 

かつて京都造形芸術大学と名乗っていた大学が、

京都芸術大学と名称を変更しました。

いわゆる略称は京都芸大になりそうですが、

この名称変更に対して、

もともと、京都芸大として市民に親しまれていた京都市立芸術大学が、

社会に名称の混乱を引き起こす可能性が高いということで、

名称変更の差し止めを求めて提訴していました。

 

そして今日、大阪地裁において、

京都市立芸術大学の訴えを棄却する判決が言い渡されました。

新たに名称の変更を行った大学の名称が、

法曹界において一旦は認められることになりました。

 

おそらく、大学における美術教育にかかわりのない方々にとっては、

何のこっちゃという話だと思います。

 

しかし僕たち、美大関係者、

それも関西の美大関係者にとっては、

無視できない問題です。

 

僕たち、業界人にとっては、

「京都芸大」、あるいはもっと短く「京芸」といえば、

京都市立芸術大学のことです。

今回の京都造形芸術大学の改名は、

いわばそのような業界の常識に対する挑戦でした。

 

話がややこしくなりますので、新たな京都芸術大学については、

運営する学校法人の名前を用い、「瓜生山学園」と記載していくことにします。

 

瓜生山学園が大学の改名を発表した時に、

実は、京都市立芸術大学関係者のみならず、

瓜生山学園の内部からも、疑問視し、問題視し、そして反対する声が上がりました。

それも教職員のみならず、現役の学生諸君、そして卒業生諸氏からもです。

というのも、関西にある美大は、

もちろん、受験生確保という経営ビジネスの観点からは敵対関係にありますが、

しかしともに芸術の道を歩むという点では、

時に切磋琢磨し合い、時に共同プロジェクトにも挑む、

よきライバル、良き友人としての関係を保ってきたからです。

 

実際、僕の勤めている大学も含めて、

関西の私学の美大の教員の多くは、京都市立芸術大学の卒業生です。

また学生同士も、受験生の頃のヒエラルキー関係は大学入学後は意味を失い、

芸術的な志向性の共鳴する学生諸君は、たとえ所属する大学が異なっても、

互いに芸大生同志ということで、仲間意識をもっていました。

 

いわば瓜生山学園は、そのような良い意味での互いを認め合うことから生まれる、

よきライバル関係の中に、仁義なき抗争をもち込んでしまったともいえます。

 

今回、大阪地裁は、瓜生山学園の主張を認めました。

多分、法律的には、瓜生山学園には落ち度はないのでしょう。

そして見方を変えれば、

なぁなぁの関係にくさびを打ち込んだと言えなくもありません。

しかし、後味の良い争いでないことだけは確かです。

 

そしてもう一つ、話がややこしくなるのは、

僕もそうなのですが、

瓜生山学園は、

若い芸術家や研究者を積極的に非常勤教員として雇用してきました。

僕の教師デビューも、

現在の京都芸術大学の前身の前身、

京都芸術短期大学での非常勤講師としてです。

何と、26歳という若さでの採用でした。

ですので、恩義を感じる部分もあるのですが、

しかし、瓜生山学園の経営戦略は、常に物議を起こしていました。

 

あの AKB48 とかいう疑似売春組織を創設した、平成の女衒、

秋元某を副学長に迎えたこともありました。

その頃の瓜生山学園オープンキャンパスの呼び物は、

AKB48 のミニライブでした。

 

そういったトンデモ人事は、

瓜生山学園の経営体質の特質のなせるわざでした。

あまり断定的に言うことはできないのですが、

創業者一族の独断的な判断が全てに優先されていたようです。

そして今回の名称変更問題も、

この創業者一族のごり押しがスタートのようです。

 

はたして瓜生山学園の暴挙がどのような経過を生み出すのか。

僕も10歳、今より若ければ、

青筋立てて抗争関係の中に飛び込んだかもしれませんが、

引退寸前の身の上、

高みの見物を決め込みます。

レベル61は、ちょっと卑怯ですね。

 

歴史の証人になるためにも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。