僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

4年前のセンター入試

飲酒歴40年、断酒歴3年と11か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。

本日もリスボンの、悪夢を振り返る・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

明日、1月18日は、センター入試の一日目です。

試験監督を行ってきます。

 

昨日は僕の最悪の飲酒デイの一日について振り返りましたが、

4年前のセンター入試の監督業務の日も、僕にとって忘れてはならない、

ダークな堕落の一日でした。

 

まずセンター入試実施の半月ほど前の業務ガイダンスの際に、

僕たち監督者に対して、前日の飲酒を控えるように指示がありました。

どうやらその前年度の試験実施の際に、全国のどこかの会場で、

前夜の飲酒の名残をぷんぷんさせていた監督がいたようで、

受験生からのクレームからこのような指示がなされたようです。

もちろん、使用障害飲酒者であった僕は、この前日の禁酒令に対して、

「んな、あほな」と思い、無視しました。

 

もちろん、酒臭い息で試験監督を行ったわけではありませんよ。

そして当日の朝も、監督中も一切、飲酒していません(って当たり前ですが)。

 

ただこの頃に僕の肝硬変に起因する体調の悪化はかなり進行していたようで、

試験本部から試験問題を運ぶ試験場までの移動の際に、

ほかの先生がたの歩行速度についていけませんでしたし、

試験会場内でも立ったまま監督することができずに、すぐに座り込んでいました。

 

何とか試験監督業務を終え、帰宅の途につきましたが、

すでに使用障害も深刻なレベルに到達していましたので、

帰宅途中でスーパーにより、通常の飲料を購入するついでに、

カン〇ハイを購入し、スーパーの駐車場で一気飲みしました。

そしてその際に、車のキーをシートの陰に落としました。

 

何とかキーを救出し、ホンマに帰宅の途につきましたが、

途中、前方の車に追突しかけました。

 

帰宅してすぐにリビングのソファーにひっくり返った僕の姿を見たパートナーは、

「あんた、死人の顔してるで」と一言。

肝硬変が最終ステージに達していたため、顔色が土色になっていたようです。

もちろんそんなパートナーのイエローカードは無視して、

いつものように焼酎を飲みました。

 

強制入院に至ったのは、その2日後でした。

 

今思えば、最低な状態の中でも厚かましくも生き延びることができました。

申し訳なく、でもありがたいことです。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。