飲酒歴40年、断酒歴6年と7か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、人間ってこのくらいの感じだろうな・ノープランブログ、
ご訪問ありがとうございます。
今、むっちゃ、心が上がってます。
変な日本語だけど、とりあえず今の僕の精神状態を、
正直に言ってみるとこんな感じ。
なんで上がっているのか、僕の中でははっきりしていますが、
大事にしなきゃいけないと思うので、隠させてください。
今日のタイトルは、ずばり断酒の話です。
昨日で断酒継続6年7か月、日数にして2045日を達成しました。
最近、僕の中で、断酒継続について、少し感じ方が変わってきました。
以前は、酒を辞めたという感覚があったのですが、
この頃、酒を飲んでいた自分の感覚と、今の自分の感覚がつながりにくくなっています。
40年間も浴びるほど、飲んでいました。
それもその間は、俺は酒を好きで飲んでいるんじゃ、
俺の意志で飲んでいるんじゃと、
飲酒行為の自発性を信じ切っていました。
6年半前に体と心を壊しました。
そしてその段階で断酒ライフ入門以外の選択肢はありませんでした。
自分の意志で飲んでいた酒を辞めてしまった、
おそらく周りから見れば、意志をもって辞めた、
そしてその意志を保ち続けて断酒ライフが継続できていると思われるでしょう。
でも今、はっきりと言えます。
僕が断酒ライフに入門できたのは、
体と心が追い込まれてしまったからで、僕の意志の力ではありません。
そしてそれから今日まで継続しているのも、
僕の意志が強いからでは決してありません。
断酒ライフには、お土産やご褒美がたっぷりあったからです。
僕は、いやなことや、自分には納得できないことを継続的に実行する意志の力はありません。
このままでは体も心もダメになってしまい、遅かれ早かれ、死んでしまうという切迫感と、
それに対抗するためには意志の力に頼らなければならないのだとしたら、
多分、断酒ライフは継続できていないと思います。
意志の力の強い人はいるのかもしれません。
しかし僕は絶対に違います。
そして多くの人も僕と同じく、そんなに意志の力は強くないと思います。
意志の力や意志の強さを美徳とする感じ方は、
多分、20世紀までにその役割を終えていると思います。
モダニズムが理性を過剰に尊重した結果、ポストモダニズムの台頭によって嘲笑されたように、
意志の力の尊重という、人間の能力に対する過剰な信頼も、
冷静かつ明るく乗り越えられるべきです。
僕たち断酒ライフ実践者は、実は時代の最先端を走っていたんです。
全国推定20万人の断酒者の皆さん。もっと自らを誇らしく思い、そして嬉しがりましょう。