僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

憲法議論は必要、でも・・・

飲酒歴40年、断酒歴7年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、憲法記念日のノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

連休も折り返し点を過ぎました。

僕は大学に行かないというだけで、代わり映えのしない毎日を機嫌よく送っています。

 

今日は憲法記念日ということで、

新聞やテレビニュースでも、話題として取り上げられています。

 

憲法第9条。

もしこのまま、この国がこの憲法の条文をもち続けることができるとしたら、

それは歴史に誇るべき奇跡といってよいでしょう。

 

 

若い頃の僕は、戦争放棄を謳い、そしてそのために、

国家として一切の武力保持を放棄することを誓ったこの条文に対して、

無条件での賛意をもっていました。

それはいわば、若さゆえの理想論と青臭い精神論に基づいた、

国際政治に対するリアリティーの乏しい感覚だったかもしれません。

 

残念ながら世界は21世紀を迎えたころから、

思考力の乏しいリーダーたちが闊歩する、危い状況を示し始めました。

ロシアしかり、中国しかり、北朝鮮しかり、そしてアメリカですらも・・・。

 

世界が若者の理想論を歯牙にもかけない現状を考えると、

憲法9条についても、議論する必要はあるかもしれません。

 

しかしこの国の危うさは、まともな議論を避けようとしている点にこそあります。

21世紀の世界情勢の中で、日本が軍備をもつべきかどうかについては、

国を上げて、議論すべきです。

 

軍備にはとんでもないお金がかかります。

ロシアとウクライナの事例からも明らかなように、

軍隊を戦場に派遣するということは、

複数の人命が、それも未来の輝きに満ちた若い命が失われるということが前提になります。

憲法9条を変えるということは、とんでもなくリスキーな決断なのです。

 

だからこそ、しっかりと議論すべきなのです。

 

しかしこの国の政治家の多くが、まともな思考力を欠いています。

特にジミントウ、ひどいものです。

 

「自分の性をどう認識するかで権利を認めれば、社会が混乱する。」

4月28日にジミントウの中でもたれた、

性的少数者の人権に関する合同会議でなされた発言だそうです。

 

個人の性自認さえも基本的な人権として認めないという、およそ合理的な思考力を欠いた発言が、

この政党(と呼べるんかい)では、まかり通っているらしい。

そしてそんな政党のふりをした既得権益保護団体が、この国の政治の多数派を占めている、

そんな状況の中で、憲法をめぐるまともな議論が可能なのかどうか。

 

この国は、基本的に人権に関しては、カニバリズムの誹りを免れない、野蛮な状況にあります。

まずは国家としてまともな状態を目指しましょうよ、日本人の皆さん。