僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

常識って

もともと図書館は好きな場所です。

現在、自宅療養中の僕は、以前よりも地元の図書館に足を運ぶ機会が増えています。

以前は、そうや、このことについて調べよう、世間一般にはどんなふうに考えられているのか、確認しよう、
といった具合に、何かテーマをもって図書館に行くことが多かったように思います。

でも、アルコール依存症と肝硬変を発症して(というよりも、診断を受けて)から、
特定のテーマを設けずに、図書館で過ごすことが多くなりました。

特定の分野の研究を生活の生業の根拠としてきた僕は、これまで一般常識についてはあまり関心がありませんでした。

でも、今回、生まれて初めての長期の入院を経験したことで、例えば、病院という施設、或いは医師や看護師、栄養管理士、リハビリテーション・インストラクターといった専門家からなる、病院という組織について、僕自身が直接かかわる問題として、内側から観察する機会をもつことができました。

また、入院に伴う保険金の支払いに関する手続きの中で、社会保険や任意保険と、僕たちの支給されている給与といった、生活を支える金銭の流れについても、知ることになりました。

特定の分野の専門家であった僕は、この年になるまで、見事なまでに井の中の蛙だったのです。

おそらく、世間の多くの方々が、程度の深い、浅いの違いはあれ、皆さん、それぞれに専門家であり、そして井の中の蛙だと思います。

でも僕の「井の中の蛙」指数は、なかなかのもんでした。

僕たちの社会って、いろいろな人たちがいろいろな仕方で関わって、複雑かつダイナミックに動いているんだな、と感心させられました。

ホンマに今さら、です。

でも、この今さらは、なかなか侮れない「今さら」だと思います。

人生、一生、勉強だよね、という、どちらかという陳腐なフレーズが、今の僕にはアクティブかつ新鮮に響きます。

かつては、絶対に近づかなかった、医療や健康のコーナーにも足を運び、特に肝臓疾患に関する書籍を手に取るようになりました。

そして、ホンマにスリップしてはいけないんだ、という思いが強くなります。

(肝硬変を放置して置いた場合の末期が、極めて酷いものであることを、もっと多くの一般書や啓発書は訴えるべきでしょう。僕の場合も、今回の治療を受けなければ、職場で若者目前で大量の吐血をし、病床でみじめな姿をさらしながら、最期を迎えることになった可能性が高かったようです。)

「常識」という社会の鏡、今さらは今さらですが、まだまだ、ドキドキワクワクする権利は放棄するわけにはいきません。