僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

顔の見える街

僕が今住んでいるところは、
おそらく、普通に街中(必ずしも大都会という意味ではありません)に暮らしてる人たちから見れば、
無茶無茶、自然の豊かな地域という事になりそうです。

確かに、僕の家のある区画に隣接して、雑木林が広がっていますし、
集落の中で猿や鹿を見かけるのは、日常茶飯です。

そんなところに、20年前に土地を求め、家を建てて、終の棲家と定めました。

今、その決断を後悔はしていません。

でも、ふと、多数派の日本人のみなさんのように、もう少し、住宅地、或いは、街中に住んでいたらどうなっていただろうか、と想像する瞬間が増えてきました。

一つには、このまま歳をとってここで暮らし続けることができるかどうか、という、少しばかりの不安。

それと、徒歩で移動できる範囲に商業施設が全くないという状況に対する不安。

でも、なんやかんやとがんばってここに住み続けるでしょう。

と、言いますのも、今住んでいる場所には、適度な自然との共存以外にも、うれしい要素があるからです。

先日、地域の自治会の清掃活動について、書きました。

その時にも再確認できたのですが、僕たちの邑(多分、この漢字が一番しっくりくると思います)では、住んでいる人の殆どが、顔と名前が一致するのです。

もちろん、どの人がどんな会社にどんな立場でお勤めなのかといった、殆ど個人情報ともいうべき事柄について、お互いに完全に知っている訳ではありません。

漠然と、どんな仕事をしてらっしゃるのか、こどもたちは今どんな状況なのか、そんなことくらいです。

でも、顔が見える街というのは、うれしいし安心できるものです。

先日の清掃活動の後の地べたミーティングでもあったのですが、
毎日の僕の犬の散歩を見かけていたご近所さんが、僕の病状についてご心配されていたそうです。

適度な便利さを活かせる街の暮らしもいいと思いますが、多少、不便でも、お互いの顔が適度に見え、適度に自然の中に包まれている今の住環境、やっぱり気に入っています。

冬場の雪には、苦労させられますけどね。