僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

ディアスポラとしての生き方

飲酒歴40年、断酒歴3年と8か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、原点を探ろう・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

大分以前にも書いたことがありますが、

僕には故郷がありません。

 

生まれたのは京都ですが、ホンマに生まれただけです。

生まれてからの京都滞在は2か月だったらしい。

 

アカチャンの時から高校生までは、静岡県下田市で暮らしました。

こども、少年、そして青年期の入り口を過ごした、

まさに僕が成長した土地ですから、この下田が僕の故郷候補にはなるでしょう。

しかし現在の僕には、下田とのつながりは全くありません。

かつては3家族が住んでいた僕の親族も、今は一家族も残っていません。

また、小中高とともに学び、

遊んだはずの仲間たちとのつながりも全く残っていません。

こちらは自然に縁遠くなっていた面と、

僕が意図的に切断してきた面とがあります。

 

そして大学時代および、就職するまでの16年間は、再び京都で暮らしました。

今の僕のアイデンティティーのいくつかの核となる要素は、

もっとも生意気に、無鉄砲に、時にはダラダラと、

でも全体としてはやっぱり無我夢中に暮らしたこの時期に形成されました。

僕の研究者、ミュージシャンとしての故郷は京都です。

 

でも僕の前半生を客観的に見れば、僕の故郷は下田ということになりますよね。

でも僕はこの町とのつながりを僕自身の気持ちの中で、消してしまいました。

 

生まれた町としての京都の記憶は僕にはありません。

下田にかつてあった僕が育った家は、もうありませんし、

小学校や中学校も移転しています。

卒業した高校はそのまま残っていますが、

でもあの頃、良くも悪くもむきになって関わってきた連中とは、

今では全くつながりがありません。

 

僕が青春時代の大半を送った京都は、

もちろん、変化しつつも、残ってもいます。

卒業した大学は、学科の再編等もあったり、新しい建物も増えましたが、

僕たちのわがまま放題を許してくれた古い施設も残っています。

でも、今の京都は、30年前の京都ではありません。

 

僕は結果的に、ディアスポラとしての生き方を選ぶことになりました。

故郷があるということは、多分、いつでも受け止めてくれる原点があるということで、

きっと素晴らしい事なんでしょう。

でも同時に、故郷という言葉には、古いしがらみという概念も、

ほぼもれなくついて来ます。

ADHD型の自己チュウ人間である僕は、

このしがらみに縛られることを本能的に恐れて、

ディアスポラ人生を選んだんだと思います。

したがって、ユダヤ人やさまよえるオランダ人のような悲惨さはありません。

 

ただ、僕の民族的?なルーツが朝鮮半島にあることで、

急激に(偽)右傾化を強めているこの国で、

若干の居心地の悪さを感じることもあります。

 

縁があって琵琶湖のほとりに居を構えました。

でももう一回くらい、移住するかもしれません。

もしかすると僕の望みは、街から街へと渡り歩く、大道音楽家かもしれません。

 

ストリートミュージシャンとして死ぬことができれば、本望です。

それも僕の大好きなリスボンで。

 

定住するにしても、旅の民になるにしても、健康第一。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。