僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

僕のふるさとは・・・

飲酒歴40年、断酒歴2年と6か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、不憫じゃのう・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。



明日から同志社大学で開催される学会の準備のため、
京都に車で行って来ました。

普段、田舎県に住んでいますので、
京都のような都会に自動車で向かうとなると、
経験したことのないような交通密集状態に閉じ込められるんじゃないかとビビりますが、

さすがに平日の真昼間、
予想していたよりもはるかにスムーズに同志社大学につき、
また、帰ってくることができました。


何回か書いていますが、
京都の大学で学んだ僕にとって京都は、やっぱり青春の街です。

もちろん、40年近くたっていますから、
様ざまな風景が様変わりをしています。

しかし表面的には変化しているようにも見えますが、
やはり奥底にあるのは、僕の知っている京都でした。


で、ふと、僕のふるさとってどこになるんだろうと考えてしまいました。

僕は京都で生まれましたが、それは、
母の実家が京都であったこと、
父方の親族の大部分が僕の両親の結婚に反対していたことが関係しているようです。

生まれてすぐに両親は籍を入れ、
僕は父の実家のある静岡県の下田で育つことになり、
高校まで下田で過ごしました。

僕にとって下田は、
多感な中学生、高校生時代を過ごした場所ですから、
僕にとっての故郷のはずですが、

何故かそういう感じがあまりしません。

今、下田には、一人も親戚がいませんので、
訪ねることも全くなくなりました。

高校までの同級生たちがいますが、
別に会いたいとは感じません。


何でここまでふるさと感をもつことができないんだろうと考えてみました。

1つ思い当たったのは、
中学、高校と、ろくな教師に出会わなかったことが原因の一つだろうということです。


僕は中途半端に勉強のできるいやなガキだったので、
学びという点で教師を尊敬するということは、
中学生の時にはすでにありませんでした。


中学の音楽の教師なぞは、
僕よりも耳も悪ければ、リズム感もありませんでした。

中学・高校の時に出会った体育の教師どもは、
そろいもそろって筋肉脳みそのゲス野郎ばかりでしたし、

高校の時の社会の教師なぞは、
自己陶酔型誘導尋問教師で、
優しく正義と愛を説く、欺瞞型演劇男でした。


すでに大人を尊敬できなかった僕に問題があったんでしょうけど、
どうにもいやな思い出ばかりが蘇ります。

高校生らしい、楽しい思い出もあるはずなんですけどねぇ。


かといって大学時代を過ごした京都が僕のふるさとということもできませんし、
今暮らしている大津の地にアイデンティティーの根拠を置くほど厚かましくもありません。

いまだ訪ねたこともない、そして恐らくは訪ねることはないであろう、僕の本籍のあった地、
プサンの山奥の農村地帯に対しても、ふるさと感をもつことは当然ありません。


僕はどこの人なんでしょう?


ま、いっか、断酒ライフに生きるコスモポリタンということで。

今日はカッコつけておきます。

でも断酒ライフはしっかり続けますよ。


皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。