僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

健康?健常?正常?

今日も元気だ、ミネラルウォーターが美味い!トーストが美味い!ヨーグルトが美味い!
ホンマにお前、病人か、ハイ、病人です、アル症と肝硬変、死ぬまでお友達、ホンマにお前、大学の先生か、ハイ、先生です。
リスボン、57歳。

本日も、気まぐれ・ノープラン・わがままブログ、ご訪問、ありがとうございます。


昨日、ここ数年間、親しくお声をかけてくださるデザイナーの先生から、僕の現況をご存知になったことから僕の近況をお尋ねになり、またご自身の最近のお仕事についてもご紹介いただけるメイルを頂戴しました。

そしてYoutubeに上がっているという、最近のお仕事の一端を取り上げた動画を拝見し、早速、返信をお送りしました。

先生のお仕事についての感想では、僕なりの専門家としての感想をお伝えしたつもりです。

ただ、最後のごあいさつの中で、少しばかり、思い切った表現を用いてみました。

それは、僕が一人前の精神病患者となりました、という近況報告です。

疾病としてのアルコール依存症が、精神病の一つであるということにつきましては、おそらく医学的には間違いないと思います。
ただ、精神病、あるいは精神病患者という表記が、一般の方々に対してどのように響くかということについては、いろいろな見解がありそうです。

キチガイ、という表記は、明らかに差別的ですよね、
精神病、あるいは精神病患者はどうでしょう?

以前に、アル中という表記のもたらす印象についても考えてみましたが、やはり負の印象をもたらすことが多い言葉だろうなと思います。

精神病、精神病患者も、微妙なところですが、負の印象が含まれる表記でしょうね。

ところで、負の印象ということが成立するためには、当然、逆のサイドの概念の存在を前提としていますよね。

例えば、健康。
あるいは、健常。
そしてより幅広く、正常。

でも、これらの一般的によき価値を表す表記とされている言葉ですが、ホンマにその指し示す内容は、揺るぎのないかっちりしたものなのでしょうか。

健康な人って、どんな人ですか?
お医者さんの世話にならない人?
薬を飲んでいない人?

健常者って何者ですか。
どこが健やかで常(つね)なんですか。

そして、正常って何ですか?

例えば、健康でない人、健常者ではない人、正常の範疇から外れている人を、何らかの形で他者からの支援がないと生活できない人という風に考えてみましょう。
誰からも支援を受けずに生き抜いている人って、いるんでしょうか?
支援の強弱や性質、頻度等には、いろいろな段階がありそうですよね。
でも、本当に独力で生活している人、っています?

健常と正常に関していえば、常って何よ、という議論から自由ではありません。
人間としてどのようなことができれば、健常、ないしは正常であるのか。
身体的能力としては?
知的能力としては?
そして、案外このことは多くの専門家の議論からも抜け落ちていますが、情緒的能力としては、何が健常で正常なのでしょうか。

これらは、ふつーはふつーやねん、という、暴力的な決め文句で終わらそうと思えば、終わらせてしまうことも可能です。
でも、ふつーって何よ、と突っ込みだすと、これもきりがありません。

僕が僕自身をアル症者である、アル中である、アルコール依存症者である、あるいはアルコール使用障害者である、と称した時、
どのくらい引かれるものなのでしょう。

あるいは精神病患者であると称した時は?

これらの疑問は、単なる名づけの問題です。
しかし、名づけはすべての社会的装置を始動させる強力なパワーをもっています。
したがって、僕たちは僕たちの名前、あるいはどのように社会から呼ばれるべきなのか、ということについては、敏感に考えていくべきでしょう。

以前にも当事者としてのアル症者として、何ができるか考えていきたいということを書きました。
せっかく当事者になりましたので、当事者目線での学問的考察がどのくらい可能か、僕の残りの人生の一部を、このテーマにも使ってみようと思います。


僕は、感じたことについて考え、それをテキストとして残していこうと思います。
皆さんもそれぞれに課題をお持ちでしょう。

それぞれの課題に向かいつつ、今日も皆さん、そして僕もご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続しましょう。