僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

量より質?

飲酒歴40年、断酒歴3年、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、まだまだ世間の理解は低いです・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


またまた、先週、土曜日の、40年ぶりの同窓会ネタです。


同窓会に出席するにあたって一番心配だったのが、

断酒者になったことをみんなにうまく伝えられ、受け入れてもらえるかどうかでした。


実際には案ずるより産むが易しという面もありました。


僕たちの仲間には、
宴会の同席者に飲酒を無理強いする、
伝統的な酔っ払いおっさんもいませんでしたし、

ウーロン茶の炭酸割を飲んでいる僕を不思議そうに見るやつもいませんでした。


飲まへんの?
と訊かれれば、
すなおに、

止めてん、
とこちらもストレートに答えました。


ただ本格的な宴会が始まる前に、

宿泊予定の仲間の部屋で3人ほどで話し込む時間がありましたが、


その場では、
僕がアルコール依存症になったことを告げました。

別に訊かれたわけでもないのですが、
この仲間たちの前では隠す必要もないだろうと思い、

身体と心の両方を患ったことを告白しました。


でこれは予想した通りでしたが、

やはり一人の仲間が、

どれだけの酒を飲むと依存症になるのかと尋ねてきました。


もちろん、彼は素直に疑問に感じたことを訊いただけだと思いますが、

しかしやはり依存症が精神病というか、
心の病というか、
もっと言えば、脳の病気であることが十分には理解されていないんだな、
と感じました。



(今はバナーが張れていませんが)ブログ村の皆さんにも、

ごく少量の飲酒で依存症になった方もいらっしゃいますし、

世間には依存症になっていないホンマの酒豪もごろごろしています。



僕が大量飲酒者であったことは間違いありませんが、

大量飲酒は僕にとっての依存症の原因の一つにしか過ぎないと思います。

やはり飲み方といいますか、飲み方の質が大きくかかわっていたことは、
皆さんも賛成していただけますよね。



僕たちを救ってくれるのは、
医療的な知識や技術でもありますが、

広い意味での社会心理的な要素でもあると思います。


僕たちは甘えてはいけませんが、

しかし身体的医療のみが僕たちの先生ではありませんので、
主張すべきことは主張すべきでしょう。


僕たちが精神疾病と暮らしていることを恥じる必要はありません。

僕たちもしっかりと生きる権利と義務と可能性をもっています。


権利と可能性を発揮するためにもいつものように


皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。