僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

人間ではなくなってしまう病気

飲酒歴40年、断酒歴2年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、改めて確認・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。



今日も昨日に引き続き、
のんびり過ごしました。


やっぱり疲れがたまっているようで、
特に何もしていないのに、
ぼーっとしていながらも眠気が襲ってきます。


恐らく飲酒者の頃は、
恒常的な飲酒によって疲れを自覚する感性回路も機能停止していたんでしょうね。
疲れを感じながらぼーっとしていることはあまりありませんでした。


もちろん、加齢による疲れやすさの増大もあるんでしょうけど、
ちゃんと疲れを感知し、そして平穏な睡眠に導かれる、

嬉しいことです。



さて、このごろ、僕の中で、
少しだけやばい心の動きが顔を出すことがあります。

積極的な再飲酒欲求というほどのものではありません。


あえて言えば、
断酒ライフの継続に対するちょっとしたマンネリ感みたいなものです。



飲まないことのプラス面を十分に自覚しているにもかかわらず、

たまに、何らかの集まりでビールかなんかを飲んでいる映像をテレビ等で見ると、

もう、あんな仲間には入ることはできないよなぁ、
と思ってしまいます。


もちろんこれは間違いで、
ビールを飲まなくても、
大好きなウーロン茶の炭酸割でグラスをぶつけ合えばいいだけの話なのですが、

どうやら僕の中でちっちゃな飲酒欲求が顔を出すようです。



やっぱり僕たちは、
常に僕たちの病気の恐ろしさを常に確認すべきなんでしょうね。


僕たちの病気、

アルコール使用障害でもアルコール依存症でもどちらの名づけでもよいのですが、

でもこの病気の恐ろしさをいやというほど自覚するためには、

主な症状が人間性の放棄であり、
そして一度発症すると、そう簡単には人間に戻ることができないという面を強調するのが良いでしょう。


もっと恐ろしい依存症である覚醒剤使用障害の場合、

覚醒剤を欲するあまり、売春すら平気になってしまうと聞いたことがあります。


アルコールはそこまでのことはないかもしれませんが、

しかしアルコールがとてつもなく高価なものになってしまえば、
僕たちは売春はおろか、犯罪を犯すことすら平気になってしまうでしょう、アルコールを摂取するためには。


そしてそのような人間とは呼べない状態になってしまったことがあり、
そのことによって多くの人たち、
特に近くにいる人たちに大迷惑をかけた経験のある最低野郎たちが、僕たちです。


やっぱり僕たちの生きる道は一つしかありません。

ええかっこしいでも何でもなく、僕たちには断酒ライフしかないのです。

当たり前のように、でも真剣にかつ命がけで、

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。