僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

自由

今日も暑くなるそうです。
でもいま朝の7時前、まだ、気持ちのいい時間帯、出勤前のひととき、少しだけのんびりしています。
アル症でも肝硬変でも、こんな時間の過ごし方ができるんですね、再飲酒欲求と死ぬまでデスマッチ(?)、リスボン、57歳。

リスボンの、好きなこと言ってます・わがまま・ブログ、本日もご訪問、ありがとうございます。


今朝は、パートナーが行ってきましたが、毎朝のワン太の朝の散歩、いろいろなことを考える貴重な時間です。

いつも僕が思い起こすのは、旅先で見かけた、ワンちゃんの散歩の姿です。

世界中のいろいろな街で、ワンちゃんを連れて散歩を楽しむ人びとの姿をお見かけします。
時には、たとえ言葉が通じなくても、ワンちゃんを通じて、話しかけてみます。

バルセロナを訪ねた時のことです。

サグラダ・ファミリアからグエル公園に向かう道すがら、びっこを引きながら歩くワンちゃんを連れた一人のジェントルに会いました。
僕は、スペイン語カタロニア語もできませんので、ここは、世界共通語、ザ・関西弁で話しかけました。

「どうしたん、そのワンちゃん?」
「こいつなぁ、アホにも階段からこけて落ちよってんや。」
「かわいそうになぁ、大事にしたってや。」
「おおきに、おおきに。」

多分、そんなやりとりを交わしたと思うんですよ、はい。

パリでも、少し変わった顔をしたワンちゃんに近づいて、むっちゃ吠えられて飼い主さんに笑われたこともありました。

僕たち夫婦にとってもそうですが、ワンちゃんを始めとするパートナー・アニマル達は、いわばコミュニケーションのきっかけ作りとして、最高の存在ですよね。

ワンちゃんを通じて、いろいろな人たちと、一瞬とはいえ、知り合いになれます。

また、そんな旅に出たいものだと思います。

かつて、つまり飲酒生活者であった頃の僕は、どこに行くにあたっても、現地で酒が無理なく調達できるかどうかが、極めて重要な心配事でした。
飲む、飲まないは別にして(といっても結局は飲みますが)、アルコールが手の届くところにあるかどうかは、僕たちアル症者にとって、生き死にの問題であったと言っていいでしょう。

つまり僕たちは、アルコールのあるなしという条件に、むちゃくちゃ、縛られていたんですね。
身体的にも精神的にも、めんどくさい不自由をわざわざ課していたんです。

今、断酒ライフを送っています。
宿泊先に酒がなくても、全く問題ない。
イスラム諸国のように、表立っての飲酒が困難な地域にも、行こうと思えば行けます。
僕たちは大げさに言えば、かつては行使することのできなかった自由を手に入れたのです。

現実には、金銭や仕事のスケジュール、家族のことなど、様々なことがありますから、全くの自由人として旅に生きることは難しい。
でも、少なくとも、精神的な面では自由に旅をすることが可能になったということはできるでしょう。

アル症は、一時的な神経の麻痺を精神の自由と勘違いする疾病であり、断酒ライフは本当の自由を獲得するための必要十分条件です。
特に、必要条件というよりも、十分条件であるということに、大きな意味を考えましょう。

僕たちは自由になれるのです。

みなさん、そして僕も、今日もご機嫌さんで、ほんまの自由のために、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続しましょう。