僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

300日 ひゅ~ひゅ~

今日も(カラ)元気、アル症と肝硬変、2大成人病(?)と仲良し、リスボン、57歳(今日限り)。

本日もリスボンの、わがまま・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

昨日、300日を達成いたしました。
もちろん、断酒ライフ、300日経過達成です。
例によって誰も褒めてくれないので、自分で褒めます。

ひゅ~ひゅ~、ドンドンドン、ぱちぱちぱち!

もう少しで1年なので、300日を記念日扱いする人は、どちらかといえば、少数派でしょうね。

でも、300日は300日。
たいしたもんでしょう。

ところで。
皆さんも考えませんでした?飲酒者の頃。

「酒止めるくらいやったら、人生止めるわ。」

まぁ、これは、それくらい酒が好きだじぇ、という空元気の表現にすぎないのですが。

今はもちろん、そんなことは考えません。

「年金、元取るくらいまでもらわんことには、アホらしゅうて死なれへんわ。」

正直なところです。

ではなぜ、酒飲まれへんのやったら死ぬ、なんぞという空元気・嘘をついていたのでしょうか、僕たちは?

おそらく、
空元気ではなく、本人としてはマジでそう思っていたンですよね。
そして、そう思い込ませる薬物こそが、アルコール、そのものなんですよ。

アルコールの摂取量のコントロールができなくなるのがアルコール依存症ですが、
酒こそ人生の最高の華だと言い切ってしまうことも、アルコール依存症の判断材料にできるかもしれません。

何かの後の酒が最高や、というのは、まだ大丈夫かもしれません。

しかしとにかく酒さえあればご機嫌さん、
休日に何の予定がなくとも、1日、酒を飲んでいれば、満足、という状態は、
たとえ、社会的な問題行動を起こしていなくても、
そして自らの健康に害を及ぼしていなくとも、
少なくとも精神状態の変容をきたしているという意味では、
すでに発症していると思っていいのかもしれません。

酒を礼賛する文学は漢詩に多いそうですが、
考えてみれば科挙の成績や盆暮れの付け届けがモノを言ったであろう、かつての中国社会において、
依存症文学が隆盛を極めるのは当然なことでしょう。

人間としての最後の一線をなんとか踏みとどまることができた僕たちは、
そのことを大事に思いつつ
今日も明日も厚かましくもご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。