僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

A先生のミサにて

アル症です、肝硬変です、でも今日も静かながら元気です、リスボン、58歳

本日もリスボンの、自由気まま・わがまま勝手・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

大学時代、お世話になり、大いに薫陶を受けたフランス語のA先生をお送りするミサに参列してまいりました。

衣笠カトリック教会、それほど大きな教会ではありませんが、
モダン建築としての外観の魅力を損なわずに、
教会としての尊厳を確かにもっている内装がマッチした、
素晴らしい教会でした。

司祭ののどの調子が少しばかり本調子でなかったことと、オルガニストがしょっちゅうミスっていたことは残念でしたが、
先生の人柄がしのばれる素晴らしいミサでした。

ご遺影には先生がフランス政府から表彰されたときの勲章をかけた写真が使われていましたが、
まるで先生の

「俺はこんなもんがほしくてフランス語をやってるんやないんや」

という憎まれ口のようなご本音をお話になっている、そんな表情をなさっていました。

ではなぜ先生は、私たち若者に、あのように厳しいフランス語の指導をなさってくださったのでしょうか。

先生の御意志は想像するにも及びませんが、
文化を次の世代に伝えること、これは人間として当然なすべき義務とお考えであったのかと思います。

果たして先生は、現在のような、
教師のちょっとした励ましの言葉ですらも、
若者やこどもを傷つけるハラスメントであるかのように騒ぎ立てる風潮をご存知になったら、どのようにお考えになったのでしょう。

「僕は暴力を肯定する」といって、授業参加の意思が不十分である若者には、怒りを素直に表明されていました。

でも先生の御指導は、単にフランス語のマスターを目指すのみならず、フランス文化の本質、ひいてはヨーロッパ文化の真実、そしてさらにはそれらを通して、日本の精神についてその深淵に関する蒙を啓いてくださる、興味深いものでした。

先生のお話は、知的な好奇心を喚起するのみならず、人生の豊かさについても教えてくださる魅力にあふれていました。

先生の御遺影を前にして、「先生、情けない時代に生きる僕たちにお言葉をください」とお願いしました。


ミサを閉じるにあたって、次女の方から、先生の眠るような穏やかな最期の様子をお聞かせいただき、
ほっとすると同時に、改めて先生のお話を聞ける機会がもうないことを思い知らされ、涙がほほを伝いました。



僕たちは生き続けなければなりません。
そこで皆さん、そして僕も、今日も明日も厚かましくもご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。