アル症です、肝硬変です、でも今日も静かながら元気です、リスボン、58歳
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大学時代、お世話になり、大いに薫陶を受けたフランス語のA先生をお送りするミサに参列してまいりました。
ご遺影には先生がフランス政府から表彰されたときの勲章をかけた写真が使われていましたが、
まるで先生の
まるで先生の
「俺はこんなもんがほしくてフランス語をやってるんやないんや」
という憎まれ口のようなご本音をお話になっている、そんな表情をなさっていました。
ではなぜ先生は、私たち若者に、あのように厳しいフランス語の指導をなさってくださったのでしょうか。
先生の御意志は想像するにも及びませんが、
文化を次の世代に伝えること、これは人間として当然なすべき義務とお考えであったのかと思います。
文化を次の世代に伝えること、これは人間として当然なすべき義務とお考えであったのかと思います。
果たして先生は、現在のような、
教師のちょっとした励ましの言葉ですらも、
若者やこどもを傷つけるハラスメントであるかのように騒ぎ立てる風潮をご存知になったら、どのようにお考えになったのでしょう。
教師のちょっとした励ましの言葉ですらも、
若者やこどもを傷つけるハラスメントであるかのように騒ぎ立てる風潮をご存知になったら、どのようにお考えになったのでしょう。
「僕は暴力を肯定する」といって、授業参加の意思が不十分である若者には、怒りを素直に表明されていました。
でも先生の御指導は、単にフランス語のマスターを目指すのみならず、フランス文化の本質、ひいてはヨーロッパ文化の真実、そしてさらにはそれらを通して、日本の精神についてその深淵に関する蒙を啓いてくださる、興味深いものでした。
先生のお話は、知的な好奇心を喚起するのみならず、人生の豊かさについても教えてくださる魅力にあふれていました。
先生の御遺影を前にして、「先生、情けない時代に生きる僕たちにお言葉をください」とお願いしました。