寒いけど、本日も元気です、アル症、肝硬変、おっさん症候群、三重苦と共に生きる58歳、リスボン。
本日もリスボンの、気まぐれ•ノープラン・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。
突然ですが、おそらくはアルコール依存症を発症し、それに関わる理由で早逝された大学時代の恩師を二人、思い出しました。
一人目の恩師は、僕も非常に目をかけてもらっていた先生です。
イギリスのデザイン史を専門とされ、先生の晩年の論文や著作に関しては、僕も少しばかりお手伝いをさせてもらいました。
その先生の直接の死因は、自殺です。
先生がアル症であったという証拠は、ありません。
しかし、ヨーロッパ式と称して毎日のように昼食時にワインを飲まれたり、
飲み会のあとが二次会、三次会となかなかお帰りにならない、
あるいはほんまの締めのおつもりで入った喫茶店でも、ビールを注文してしまう、
そして奥方に対して、「わしゃ、お前よりも酒をとる」と公言されていたこと等から、
飲酒制御不能に陥っていたと思われます。
飲み会のあとが二次会、三次会となかなかお帰りにならない、
あるいはほんまの締めのおつもりで入った喫茶店でも、ビールを注文してしまう、
そして奥方に対して、「わしゃ、お前よりも酒をとる」と公言されていたこと等から、
飲酒制御不能に陥っていたと思われます。
もう一方の先生は、ウィーンのデザインを専門とされてました。
先の先生よりは、僕たちに世代も近いこともあって、師というよりは先輩といった趣の先生でした。
先の先生よりは、僕たちに世代も近いこともあって、師というよりは先輩といった趣の先生でした。
彼の死因は、謎です。
自宅の浴室で溺死されています。
自宅の浴室で溺死されています。
おそらく内臓を患い、病院からもさじを投げられ、自宅で入浴中に気を失われたものと想像されます。
(階下の方の水漏れ通報から、先生の死が明らかになりました。)
こちらの先生とは、それほど親しくはなかったのですが、
僕の後輩たちから、
四六時中手が震えている、
ガンマの数値が、我々通常の酒飲みのさらに桁を超えている(1万を超えていたそうです)、
という話を聞いていました。
おそらく研究室でも飲んでおられたものと思います。
僕の後輩たちから、
四六時中手が震えている、
ガンマの数値が、我々通常の酒飲みのさらに桁を超えている(1万を超えていたそうです)、
という話を聞いていました。
おそらく研究室でも飲んでおられたものと思います。
実は二人の先生方よりも、すでに僕は長く生きています。
おそらくお二人の先生とも、過度の飲酒がご自身の健康に良くないことは、ご自覚なさってらっしゃっていたと思います。
誰かが、あんた、アル中やで、といってあげることができたら、
お二人とももう少し長生きできたのではないでしょうか。
お二人とももう少し長生きできたのではないでしょうか。
最初の先生が亡くなられたのが、今から30年ほど前、
次の先生は、25年ほど前です。
次の先生は、25年ほど前です。
今よりもアル症に対する社会の理解は進んでいなかったでしょう。
従ってアル中という言葉も、単なる軽蔑語としてしか響かなかったと思います。
従ってアル中という言葉も、単なる軽蔑語としてしか響かなかったと思います。
誰もお二人にそのことを申し上げることはできなかった。
そういう意味では、僕たちは幸せかもしれません。
アル中に対する社会の理解はもちろん、まだまだ進んではいません。
しかし少なくとも、アル症が精神医療の対象であることは、
専門家の間では当たり前のことになっています。
しかし少なくとも、アル症が精神医療の対象であることは、
専門家の間では当たり前のことになっています。
僕たち当事者も、声をあげるべきかもしれません。
僕たちに非がなかったとは言いません。
しかし、僕たち個人個人に原因や責任を帰してしまうと、僕たちもつぶれますし、
後から来るであろう、若い才能の芽も摘んでしまいかねません。
後から来るであろう、若い才能の芽も摘んでしまいかねません。
僕たちが正々堂々と生き延びることが大事です。
僕たちには、生きる権利があります。
誰にもそれは否定できないに決まっています。
ですから、生きましょう。生きて幸せをつかみましょう。
僕たちには、生きる権利があります。
誰にもそれは否定できないに決まっています。
ですから、生きましょう。生きて幸せをつかみましょう。