断酒ライフ、400日達成しました、アル症と肝硬変、ダブルパンチと仲良く格闘中、リスボン、58歳。
本日もリスボンの、好き勝手・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
400日を達成しました僕の断酒ライフ、幸いにもスリップの危機にもあっていません。
せいぜい、夢の中でスリップしたことが数回あったくらいですね。
スリップ夢も最近は見ません。
(なんて書いたら、また見てしまうかも)
せいぜい、夢の中でスリップしたことが数回あったくらいですね。
スリップ夢も最近は見ません。
(なんて書いたら、また見てしまうかも)
なぜ僕の断酒ライフの継続がスムーズなのか、再び振り返っておこうと思います。
僕のパートナーは飲酒という文化には関心はあるのですが、体が受け付けないようです。
倅はもちろん高校生ですし、アル中おやじの醜態を間近に見てしまいました。
大学生の娘は、たまに友人たちと酒を楽しんでいるようですが、一人暮らしをしています。
倅はもちろん高校生ですし、アル中おやじの醜態を間近に見てしまいました。
大学生の娘は、たまに友人たちと酒を楽しんでいるようですが、一人暮らしをしています。
このことはとんでもなく幸運であったというべきでしょうね。
手近に酒がない!
そして依存症の発作が起きていない脳みそは、わざわざ買いに出かけるという指令を発しません。
家族に大感謝です。
手近に酒がない!
そして依存症の発作が起きていない脳みそは、わざわざ買いに出かけるという指令を発しません。
家族に大感謝です。
そして第一の理由とも関係がありますが、僕の飲酒スタイルも関係があったと思います。
僕は、誰かとどこかで飲むということをほとんどしなかったのです。
僕は、誰かとどこかで飲むということをほとんどしなかったのです。
飲酒者の頃の僕の飲酒の現場は、第一に家であり、第二に仕事場であり、そして○内でした。
ほぼ100%、一人で飲んでいました。
ほぼ100%、一人で飲んでいました。
職場の仲間と仕事帰りに飲むということは、、自動車通勤者が多かったこともあり、
20数年間の勤務の間、全くありません。
20数年間の勤務の間、全くありません。
バンドの仲間とも、全員が楽器を運ぶために車でやってきますので、こちらもともに飲酒する機会はほとんどありませんでした。
僕が家以外で飲酒する機会は、学会の懇親会、並びに打ち上げくらいでしたので、年に数回のことです。
つまり僕は、誰かと酒を楽しむ、ということがほとんどなかったのです。
一人で飲んでいた酒を一人でやめる、考えてみれば、一番、簡潔な止め方です。
一人で飲んでいた酒を一人でやめる、考えてみれば、一番、簡潔な止め方です。
一人で、アル症脳みその奴隷となり飲んでいたに過ぎなかった。
僕の飲酒行動には、社会性も文化性も乏しかったようです。
僕の飲酒行動には、社会性も文化性も乏しかったようです。
40年間の飲酒行動、全部が無駄であったとは思いませんが、マイナスが大きかった。
残りの断酒ライフ、何年許されていのか分かりませんが、できる限りその楽しさをむさぼり倒したろうと思っています。
残りの断酒ライフ、何年許されていのか分かりませんが、できる限りその楽しさをむさぼり倒したろうと思っています。
反省しつつ、厚かましく希望を持ちつつ。