僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

時代の境目とキャラクター文化

腰が痛くてアル症で、肝硬変、辛い人生ですわ、リスボン、58歳。

辛い人生は半分くらい嘘ですが、
本日もリスボンの、言いっぱなし・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


さて、タイトルですが、何のことかといいますと、

少しばかり学問的で、

でもただの年寄りの恨み言にすぎないかもしれない、

ここ、4,5年、僕がずーっと感じていることです。


本日の1時間目の僕の授業、「現代デザイン論」というタイトルの講義です。
ま、少しでも現代にかかわっていて、デザインというキーワードに触れていれば、
どんな内容でも話すことができます。

僕は割と四角四面に、
「近代デザインと現代デザインの共通点と相違点」といった観点で、
主に20世紀前半の欧米のデザイン・ムーブメントについて説明しています。

この講義のイントロダクションとして、近代と現代という大きな時代区分について概略を説明していますが、
もう、2017年ですので、
一般論としてもいわゆる現代は終焉を迎えてしまったのではないかといったようなことを学生諸君に投げかけています。

現代とポスト現代の境目、
いくつか候補は考えられますよね。

現代世界史的な観点からは

冷戦の終結
2001年の同時多発テロ事件

といったあたりが候補として考えられますよね。

で今日の授業中なのですが、また別の観点について考えが浮かびました。

アニメやデジタル・コンテンツにおける、
いわゆる2次元の存在としてのキャラクターたち、

そういったキャラクターたちが僕たちの生活空間の中に、
あたかも実在する存在であるかのようにふるまうようになってだいぶたちますが、
そのようなキャラクター文化が社会的にも無視できなくなってきた事態、
これもポスト現代を象徴する現象なのかもしれない、
と思えてきたのです。

今やキャラクター文化は、単なる若者文化にはとどまらず、
巨額の富を動かす、ビッグビジネスです。

世界中から日本を訪れる人々の何割かは、日本の伝統文化ではなく、
アニメをはじめとするキャラクター文化の本場としての日本に惹かれてやってきているに違いありません。

2次元キャラクター文化は、現代の最先端の文化現象、社会現象、そして経済現象何ですよね、きっと。

ところが僕は、
この最先端の文化にどうしても関心が向かないんですね。

例えば僕の勤めている大学にはイラストレーションを専門としてるクラスがあります。
そして毎年、何人かの学生が、卒業制作としてマンガに取り組んでいます。
でも正直言います。
彼女たちの描くマンガ、僕には面白くもなんともありません。
そしてどの作品も、ほとんど同じに見えて仕方がないのです。

彼女たち一人ひとりは、それぞれ、アーティストとしての個性を発揮した作品を心がけているはずです。
そしてその個人の思いは、キャラクター造形にも反映されているはずです。

でも、僕にはその工夫や違いが響いてきません。

僕のリテラシーが不足しているのか、現代のキャラクター造形が浅薄なものに過ぎないのか。

真実はわかりませんが、

しかしいずれにしても僕が過去の人類になってしまいつつあるのは認めざるを得ないでしょう。
(せめて縄文人くらいでとどまってくれ~。でもネアンデルタール人かもしれん。ジャワ原人だったりして。)

過去の遺物かもしれませんが、今を生きていることは事実です。
この事実を拠り所として、ジャワ原人、生き延びましょう。

というわけでジャワ原人断酒組合

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。