僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

落ち着きと昂ぶり

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常にアル症、綱渡り、おかげで肝硬変も安定しています、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、勝手にし~や・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


おかげさまで、断酒ライフも480日、さすがに再飲酒欲求はほとんどありません。

ただ今でも、テレビで美味しそうなものと酒がタッグを組んで現れると、ややぐらつきます。

それから、充実した仕事ができた後も、少しばかり顔を出してきます、飲みたい君が。


この連休中、比較的スケジュールが楽に組めているので、仕事の合間にふと悪魔のささやきが聞こえることがあります。

「ちょっと軽く一杯ひっかけて、この季節の風情を楽しんだらどうや?」

以前にも書きましたが、新緑が美しい今日この頃、
庭を見ているだけでも、何となく静かにですが心がウキウキします。

一杯飲んだら落ち着くやろうなぁ、と悪魔のささやきに負けそうになります。
(もちろん、負けませんよ!)

飲酒者の頃の僕の飲酒行動を振り返ってみると、
確かに興奮を高めるために、あるいは興奮状態を持続させるために酒を飲んでいたこともありました。

でもそれ以上に、
落ち着きたい、
心を静めて、その静まりを楽しみたいから酒を飲みたい、という気持ちから飲んでいたことのほうが多かったような気がします。

人によって異なるとは思いますが、
機会飲酒から常習飲酒への移行は、酒に興奮を求めるか、鎮静を求めるかによって起こるような気がします。
少なくとも僕の場合は、皆でワイワイと楽しむ、すなわち興奮状態を求めて飲むことよりも、
飲んで、とりあえずは人心地つける、オンの状態からオフの状態へ徐々に移っていく、
よく言えば、一日のけじめをつけるために、
しかしその実態は、とにかく飲んでしまえばいろいろな義務から解放されるという甘えのために、
飲んでいたようです。

僕はネガティブな感情から逃れるために酒を飲んでいたということはほとんどなかったのですが、
この意図的に落ち着きを求めるという気持ちの動きも、
広い意味では現実からの逃避であったことは間違いないでしょう。

やっぱり酒飲みの理屈は、アル症に冒された脳君が出す、悪魔の指令に他ならなかったんですね。

写真は、今日の内容とはあまり関係がありませんが、
先週の日曜日、びわ湖ホールで行ったアート・ワークショップの一場面です。
「パラシート」というビニールシートを用いて、25個ほどのバランスボールにバレーを躍らせるというパフォーマンスです。
終了した後のこどもたちの、
「楽しかった~」という声が何よりものお土産でした。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。