僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

酒を選べていた頃

アル症と肝硬変とは腐れ縁の親友、さぁ、ガンとはどう付き合っていきましょう、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、回想・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


この頃、ありがたいことに、再飲酒欲求はほとんどありません。

たまに顔を出すのは、

出張で思った以上の成果が得られた時と、
テレビで出演者が美味そうな食べ物とともに酒を飲んでいるのを見た時、

くらいですね。

先週の日曜日のラ・フォル・ジュルネびわ湖でのキッズ・プログラムでのアート・ワークショップを終えた後の帰り道なんかは、
まさにうまくいった仕事の余韻とともに少しだけ飲酒欲求が顔を出しました。

美味いものとのタッグ攻撃、ほぼ毎日のようにテレビに現れますが、
僕の飲酒欲求を呼び覚ますものはそれほど多くはありません。

でも時々グッとくるのは、魚の煮つけと日本酒の黄金タッグ攻撃ですね。
あれはアカン、やられてしまいそうになります(嘘)。

僕は実は日本酒デビューは比較的遅かったようです。

酒を飲み始めたころは、あのべた~っとした甘さがどうにも耐えられませんでした。
多分、ええ加減な酒を飲まされていたんでしょうね。
(身銭を切って日本酒を飲むことはありませんでした)

ところが、あれは、29歳くらいの時かな、
そのころ講義を行っていた某女子大の先生と一杯お供する機会があった時、
彼女が「雪の松島」という、お酒を勧めてくださいました。
その先生は、結婚よりも学問とお酒を選んだ方のようで、
美味しいお酒と料理を愛好するお姿には、説得力がありました。

日本酒に偏見をもっていた僕も、おいちいお魚と、これまたおいちいお酒のタッグ攻撃に見事にやられました。
ホンマに、素晴らしい料理と素晴らしい酒のマッチングの魅力を思い知らされました。

それから食べ物とお酒を合わせることに興味が移っていきました。

おそらく、料理とお酒の組み合わせに関心がある間は、依存症は形成されていないのでしょう。

ところが、あるころから、
料理が何であろうと、まざりっけの少ない酒を好むようになります。
限りなくエチルアルコールに近い酒、
世界中の酒でいえば、ウォッカやジンといったあたりがそれに近いでしょう。
日本では、焼酎、
それも原料の穀物の個性がそれほど強くは表に出ない麦焼酎が近いのではないかと思います。

何度か書きましたが、40代以降の僕の飲酒生活は、家のみに関しては、麦焼酎の強めの水割り、一辺倒になっていきます。
外で飲むときにも、とりあえずのビールは付き合いますが、2杯目からは焼酎の水割りでした。
それもぐいぐいと。

麦焼酎に味わいがないとは言いません。
芋焼酎やソバ焼酎同様、麦焼酎にも銘柄ごとの個性があるとは思います。

しかしすでにアル症になっていた僕は、
要は、アルコールの純粋な効用を妨げる要素が最も目立たない酒として、麦焼酎を愛飲していたようです。

文化的な嗜好としての飲酒と病理としての飲酒の境目は、こんなところにもあるかもしれません。

料理と酒のマッチングを考えながら酒を楽しむことができる、
おそらくまだ発症していない状態といってよさそうです。

何が何でも焼酎、それも酔いやすい濃度を自ら調整できる水割りという飲み方、
(洋酒であればジンかウォッカ、あるいはもしかすると料理とのマッチングはほとんど考えないウィスキーのストレートなんかが相当するかもしれません)
選択肢を自ら狭めるようになった飲酒者は、病理に操られた飲酒者に成り下がってしまっているといっていいでしょう。

選ぶことができた時に自分をコントロールできていれば、今の僕たちはなかったのかもしれません。
仮定の話はあくまで仮定であり、むなしいものです。

でも僕たちは、病理に冒された先達として、
後に続く可能性がある人びと、つまり酒の飲み方が限りなくワンパターンに陥りつつある後輩に、語り掛けることができるかもしれません。
僕たちの語り掛けはおそらく拒絶されるでしょう。
僕も、酒を控えるようにという他人からのアドバイスには、耳を閉ざしていました。
しかし、僕たちしか経験を語ることはできません。
これは本当のことです。

語り手としての資格をもつためにも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。