本日もリスボンの、芸大の不思議な一日・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
縛りました、生まれて初めて。
何を縛ったかというと、19歳の男子学生です。
ひ~ひ~、泣いていました。
というのは、もちろん、嘘です。
今のご時世、
たとえ教育的目的があり、その背景に愛があったとしても、
たとえ教育的目的があり、その背景に愛があったとしても、
学生を縄で縛るという体罰を加えれば、週刊誌やワイドショーの格好のネタになり、
大学の評判はがた落ちになり、僕は懲戒免職になることは、間違いありません。
彼を縛ったのは事実ですが、体罰ではなく、彼の課題作品の一部として僕が彼を縛ったのです。
ほとんどの人が、まだ何のことか、ご理解いただいていないと思います。
もう少し説明しますと、
もう少し説明しますと、
彼が履修している現代美術の表現に関する演習の授業で、
モノとモノが人と人をつなぎ、
そしてモノ自体も発展的に変化していく過程をシミュレーションするという課題があったようです。
そしてモノ自体も発展的に変化していく過程をシミュレーションするという課題があったようです。
現代美術の表現テーマの一つに、そんな人とモノとのかかわり方について多角的に考えていくということがあります。
彼らが与えられた課題は、
モノとモノの変化を、ものの交換という社会システムのシミュレーションとして捉え、
その過程の出発点として一本のロープを考える、
そしてロープと何かを交換しながら、
藁しべ長者のお話のようにロープが何かに変わっていくことを体験するということのようです。
モノとモノの変化を、ものの交換という社会システムのシミュレーションとして捉え、
その過程の出発点として一本のロープを考える、
そしてロープと何かを交換しながら、
藁しべ長者のお話のようにロープが何かに変わっていくことを体験するということのようです。
グループ課題として与えられたこの課題に対して彼のグループは、
ロープを直接何かに交換するのではなく、
ロープを媒介とした行為のやり取りという形で社会の成り立ちを考えるというシミュレーションを考えたようです。
ロープを直接何かに交換するのではなく、
ロープを媒介とした行為のやり取りという形で社会の成り立ちを考えるというシミュレーションを考えたようです。
午前中の2コマの授業を終え、研究室で検査を受けるために病院に行く準備をしていると、
彼を含む6名の学生がロープをもって訪れました。
彼を含む6名の学生がロープをもって訪れました。
「先生、僕とじゃんけんしてください、
先生が負けたら僕が先生を縛ります、
でも先生が勝ったら僕を好きなように縛ってください。」
先生が負けたら僕が先生を縛ります、
でも先生が勝ったら僕を好きなように縛ってください。」
まじめな顔で彼は言いました。
そして彼に同行したほかの学生諸君の顔も思いっきりまじめな顔をしています。
そして彼に同行したほかの学生諸君の顔も思いっきりまじめな顔をしています。
最初は僕の目も点になってしまいました。
「○○先生の課題なんです」
といわれて、ピンときました。
といわれて、ピンときました。
縛られたらどうしよう、とも思いましたが、
おもしろそうだとも思い、彼の勝負の申し入れを受け入れました。
おもしろそうだとも思い、彼の勝負の申し入れを受け入れました。
そして彼と執念のインジャン、3回勝負。
僕が勝利を収めましたので、
遠慮なく縛らしていただきました。
遠慮なく縛らしていただきました。
縛られた彼がどうなったのかは、知りません。
僕は病院に行って、CTの検査を受けてきました。
アートの根本的な目的は、
作品というものを媒介として
作品というものを媒介として
人とモノ、
モノとモノ、
人とモノと社会、
モノとモノ、
人とモノと社会、
そして人と人との関係について考えることにあります。
教師と学生がどちらかがどちらをロープで縛ることをかけてまじめな顔でじゃんけんをする、
とても奇妙な芸大の一風景ですが、
当事者たちは真剣かつまじめに楽しんでいます。
彼が無事脱出できたことを祈りつつ、いつものように