僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

原稿を書く速さ、そして一つの卒業

飲酒歴40年、断酒歴6年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、人並みに少しだけ感傷的に・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日は僕の正業絡みの話です。

 

ここ、10年ほどですが、勤務先の大学で、1年生を対象とした学習入門演習講座を担当しています。

担当しているといっても、講座そのもののデザインと成績管理は僕の仕事ではなく、

僕は主担当を務める同僚の、補佐役であり、

学生たちには僕の役割を、その先生のパシリだと伝えています。

 

その授業の中で、学生たちには毎週、新聞の社説を1本読み、

その要約と自らの意見をまとめる課題を課しています。

この課題、美大の学生たちにとっては、相当荷が重いようで、

おそらく主担当の同僚も、パシリの僕もこの課題に関しては、嫌われていると思います。



僕は毎週、この課題についての受講生全員用の講評文を書いています。

1回につき、1000字から2000字程度の講評を仕上げていますが、

だいたい、土曜日か日曜日の午前中、

土日に外出する等の予定が入る週は、大学での授業のない水曜日の午前中に、執筆しています。

ほぼ、3時間ほど、かかります。

 

以前にも報告したことがありますが、

文章を書くスピードは、若いころに比べれば、確実に落ちています。

大脳の反射神経が鈍ってきたことと、

経験値が高まってきたことによって慎重に書くようになったこと、

おそらく、この二つがスピードダウンの理由でしょう。

 

僕の講評文は、学生たちには他の課題指示とあわせて、オンラインで送信されます。

240名いる1年生の中で、どれだけの学生が僕の文章を読んでくれているのか、

はっきり言って、分かりません。

もしかすると、誰も読んでいないかもしれません。

読まれていたとしても、恐らくは、少数の学生に限られるでしょう。

 

でも僕は、この仕事には手を抜くことができません。

主担当の同僚は、

昨年まで書いたものを手直しして使いまわしてもいいのではないかといってくれますが、

どうも僕には、そのような器用なことはできないようです。

毎週、美大生が身につけるべき教養とその学習法について、

ちょっとしたエッセイを書いているようなものです。

 

なぜ手を抜くことができないかというと、

やはり学生のための文章を書くことが、結局は僕自身のためになっているからなんでしょう。

学生たちに向けて、教養とメディアの関係について語っているのですが、

これは僕自身がこれまで追求してきた課題、

そしてこれからも考え続けるであろう課題そのものなんですね。

授業の業務負担の一部ですから、原稿料も手当ても出ません。

でも、それ以上のものを得ているような気もします。

 

その仕事も、あと数回でお役御免になります。

来年度は、僕たちが担当してきた1年生を対象とした教養演習科目は、

担当者と内容が変わることになっています。

僕のやって来たことが全否定されたわけではないでしょうが、

しかし、一抹の寂しさは否定できません。

 

でも老兵は去るべきなのでしょうね。

これまでこの授業を履修してきた学生諸嬢、諸君の心の片隅にでも、

僕の言葉の一部でも引っかかっていてくれれば、

それはそれで、大いに喜ぶべきことでしょう。

 

レベル64の冬、寂しくもありますが、悔いはありません。