飲酒歴40年、断酒歴もう少しで2年と5か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。
本日もリスボンの、たぶんは今日は愚痴です・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
今日も「終わった人」、続きを立ち読みしました。
今日読んだのは、第5章です。
ただ途中、省略して読んでます。
といいますのも、
早くこの章の落ちが知りたかったのと、
早くこの章の落ちが知りたかったのと、
途中であまりにも僕自身の境遇に近いところがあって、
読んでいて痛くなってしまったからです。
読んでいて痛くなってしまったからです。
痛い部分については、今日は触れません。
っていうか、ホンマに痛そうなので、ブログで語ることができないような気もします。
それ以外で印象に残ったのが、
定年後の社会参加においても、
個人としてではなく、
組織に所属する人間としてまずは認識されてしまうということでした。
定年後の社会参加においても、
個人としてではなく、
組織に所属する人間としてまずは認識されてしまうということでした。
僕も定年前の現在、いくつかの組織から仕事の依頼を受けますが、
しかしホンマに僕という人間に仕事が依頼されているのかと考えてみると、
やはり、××××大学の○○先生にお願いしますといった類の、
組織に所属する人間としての僕に対する依頼のような気がします。
つまり定年後、僕の言い方では卒業後ですが、
僕という個人に対して何らかの社会的な依頼があるかというと、
僕という個人に対して何らかの社会的な依頼があるかというと、
はなはだ心もとないような気がします。
幸いにも卒業までまだ少し時間がありますので、
××××大学のリスボンとしてではなく、
一個人としてのリスボンとして社会参加ができるようにしておきたいものです。
そしてもう一つ幸いにも僕には音楽があります。
音楽とアートの経験、そしてあまり自慢できるほどのものではありませんが、
多少の語学力でホンマの人生を乗りこなしてやろうと思います。
多少の語学力でホンマの人生を乗りこなしてやろうと思います。
ですので、酒を飲んでるヒマは全くありません。
いつもの気合をいつものように