僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

選択の権利と責任は与えられるけれど、余裕は与えられないこの国の若者たち

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、憂国論?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

これまでも何回か書いてみたことがありますが、

大学教師として若者たちと関わりながら、

現代のこの国の若者たちに対して、可哀そうだと思うことが多々あります。

今日も一人の学生の悩み事相談に乗りながら、その思いを強くしました。

 

彼女の悩みは、表面的には分かりにくいものでした。

3年生になった彼女は、就活を支援する科目を登録していますが、

その登録を取り消すことについて、僕にアドバイスを求めてきました。

単純に答えるのであれば、

とりあえずは科目登録を取り消さずに、履修の可能性は担保しておくことを勧めるところでしょう。

僕も最初はそうアドバイスしました。

 

 

しかし彼女は僕のアドバイスに納得せず、

現在取り組んでいる専門クラスの授業についての苦しみについて、

時折、涙を浮かべながら話し始めました。

 

彼女の所属するクラスでは、

3年生の段階で、グループ展と個展を行うことが課されます。

どうやら彼女は、グループ展の企画運営について、大きな問題に直面しているようです。

彼女が今直面している問題は、

またそれはそれで、現在の日本の大学が抱えている重要な懸案とかかわりがあるので、

今日は深入りすることは避けます。

 

彼女が就活支援の科目の履修に悩んでいるのは、

現在、専門クラスの履修の中で困難な問題に取り組んでいる中で、

インターンシップも含んだ、さらに新たな挑戦も含んだ学習をこなすことができるかどうか、

最悪の場合、どちらも不調に終わり、精神面での困難に直面してしまうのではないかという、

不安ゆえでした。

 

過去に登校拒否性と出会った経験をもつ彼女は、

自らの精神面の弱点について、おそらくは当事者だけが感じることができる危機意識をもっています。

そしてそのような危機意識は、おそらく正しい。

精神面の強さを求める、時代錯誤の指導者意識では、

あえて困難な状況に取り組むことで、成長のチャンスにしなさいなぞという、

能天気なアドバイスかますところでしょう。

 

しかし僕も、今の職場でほぼ30年間、それ以前の非常勤での勤務も含めると、

40年近く、大学で若者たちと関わってきました。

社会も変わってきましたが、若者たちも変わってきました。

そのような中で、時代がマッチョに変貌するのに比例するように、

若者たちの皮相的な明るさは増し、そしてそれらに反比例するかのように、

若者たちの精神面のデリケートさ、脆さは増してきています。

 

アーティスト、表現者としての道を歩み始めた彼女に、

就職活動も同時に上手くこなすという器用さはないようです。

彼女の悩みの根っこが深いことを再び知らされた僕は、

今は自らの専門科目で直面している問題の解決にひたすら取り組んだ方がいいと伝えました。

おそらく彼女は、僕にそう言ってほしかったんだろうなと思います。

1時間ほど話したのち、また来るねといいながら笑顔とともに、

彼女は次の予定に向かっていきました。

 

現在の日本の社会は、若者たちにいろいろな選択肢を提供しています。

彼女たちの前には、いろいろなチャンスが広がっているように見えます。

しかし僕たちの社会は、若者たちに豊かなチャンスを提供すると同時に、

選択肢の享受に伴う責任についても、容赦なく押し付けています。

しかもその押し付け方には、厳しい期限を設けています。

若者たちには十分なチャンスが提供されているように見えますが、

しかし彼女たちにそのチャンスについてゆっくりと吟味する時間は与えていないのです。

あの子たちには、自分の人生について、うだうだと悩む余裕すら与えられていないのです。

 

若者が悩みを吟味する余裕のない社会、

若者が自らについてじっくりと考える時間を与えない社会、これが今の日本社会であり、

大学という最も豊かな自由の中で人間力を高めるための場所ですら、

彼女たちはがんじがらめにされています。

 

多分、バブル経済が崩壊した1990年代くらいから、こんなふうになってきたんでしょうね。

そしてそのことが現在の日本の国力の低下となって現れていますよね。

昭和の、一見、非生産的に見える若者時間を享受してきたものとして、

少なくとも今の若者たちに、ゆっくりと悩むことの意義くらいは伝えたいものです。