僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

記号の呪縛から解き放たれる

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、味覚官能と断酒・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

ほぼ、1週間前ですが、

大学でのマーケティング講座で不適切な発言をしたという理由で、

吉野家が常務取締役を解任したというニュースを取り上げ、

その常務の用いた「シャブ漬け」という言葉のもっている危険性について、

僕なりの感想を記しました。

https://skyoflisbon.hatenablog.com/?page=1650537070

僕は、薬物使用障害当事者の視点から、

覚醒剤という最も危険な薬物と、その使用がもたらす究めて危険な症状について、

その実態も知らずに流行り言葉のように軽々しく言及されている点に恐怖を感じました。

 

今日はこの件について、別の観点から感想を書きたいと思います。

 

この解任された元常務は、

素朴な感性をもっていた若い女性が、男性からフランス料理をごちそうされる経験をもつ前に、

吉野家の味覚を経験させてしまうことが肝要であると述べていたようです。

そして多くの人が批判的かつ、非難の気もちも込めて指摘しているように、

この元常務氏のこの発言は、

自社の商品の価値を明らかに軽蔑しています。

自社商品の価値を尊重していないということは、

当然ながらその商品を開発した自社社員に対する尊敬の念を欠いており、

さらにいえば、

会社そのもののよって立つ基盤としての事業そのものの意義を否定していることになります。

ヘッドハンティングされて業務にあたっていたはずの専門家としては、

到底、許されることのないビジネスマインドセットというべきでしょう。

 

そしてこの発言のもう一つ許しがたい点は、

自社価値を尊重していないだけではなく、

吉野家の主力商品である牛丼の、一般の愛好家の味覚に対する否定にもつながる点です。

顧客の購買動機の原点としての感覚官能について、明らかに軽蔑的に述べていることになります。

失礼極まりない話です。

飲食産業において、顧客の味覚官能を否定的に無視する、

経営に携わるものとして、経営の観点からも、社会倫理の観点からも、

許されることではないでしょう。

 

この元常務氏は、ヨシギューを食べたことがないのでしょうか。

僕自身は、牛肉がそれほど好きではありませんし、

断酒ライフ入門後は、濃い味付けを苦手とするようになりましたので、

ヨシギュー依存に陥るほどのファンではありません。

でもごくまれに食べると、

そのコスパの高さには感心させられますし、

企業努力の賜物であろう、その味も、正直、なかなかのものだなと思います。

濃い味付けが苦手になった僕の味覚にとって決してドストライクではありませんが、

吉野家の牛丼は、美味しい、優れた商品であるといっていいと思います。

 

おそらく元常務氏は、

バブル経済華やかなりしころの、見栄を張った味覚官能のまやかしに、

未だに縛られているのでしょう。

従って、男性が下心とともに提供するフランス料理と比較しながら、

自社商品を卑下するという、最低なたとえ話ができたのだと思います。

 

若干、偏見を込めながら言いますと、

僕たち東アジア人にとっては、フランス料理の味覚を心身の両面から楽しむことは、

土台、無理な話なんです。

多少、ひがみも入っているかもしれませんが、

バブル期の華やかさは、

フランス料理の本質的な味覚ではなく、フランス料理という、

グルメ官能のある種の記号を消費するという危うさに支えられていました。

そしてこの怪しい記号消費の性癖は、

これまた高級な官能の消費記号である、高級ワインに対する嗜好とによって、

さらに促進されました。

 

僕も飲酒者であった頃は、

酒の美味しさや、酒が引き立ててくれる料理の美味しさを楽しんでいた気になっていながら、

その実態は、経験的かつ感覚的な実体の乏しい記号的な感覚を、

見栄張りな支出行動とともに楽しんでいたような気がします。

 

でも断酒ライフ・サバイバーとなった今は、

身体が欲する味覚を理解し、

その結果、表層的な華やかさではなく、

自然の摂理に忠実な味わい、

季節感を裏切らない味覚のすばらしさを楽しむことができるようになりました。

今さらですが、やはり酒は、感覚の精度を低下させていたのです。

 

現在のこの国の経済状態や、国力を考えると、

今後、見栄を張った記号消費が復活することはないでしょう。

本質的な価値を見極める感覚官能の重要さがさらに増していくことは間違いありません。

つまり時代は、僕たち、断酒ライフ・サバイバーを求めているのです。

同志の皆さん、僕たちの時代ですよ。