僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

デジタル貴族とデジタル奴隷 俺はどっちもいやじゃ!

飲酒歴40年、断酒歴6年と9カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、杞憂ではないような・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

最近、訳知り顔の連中がよく口にする訳知り暗号の一つに、

DX があります。

特に DX 人材てなことが言われて、

新たな職業適性を表す専門用語のように使われているようです。

 

僕の勤務先の大学でも、

大学経営の中長期計画みたいな文書の中で、

DX 人材の輩出を目指すみたいなことが書かれていたような、いなかったような。

 

DX 、デジタル・トランスフォーメーションの略なんだそうですが、

Digital Transformation をどう略すと DX になるんでしょうか。

僕は一応、一般の方々よりも、横文字に強いはずですが、

Digital Transformation がどうして、DX になるのか、

全く見当もつきません。

 

話は変わりますが、

静岡県の保育施設の通園バスの中で、

こどもが放置されたまま死亡した事故は、痛ましいニュースでした。

直接的には、施設の運営者の責任が問われるところでしょうが、

しかし大局的に見れば、

保育業界全体が直面しているであろう、人手不足が根本的な原因の一つでしょう。

 

そしてさらに話の展開の途中プロセスを省略しますと、

業界ごとの労働者の不足の問題は、

最終的には、社会全体での富の分配の圧倒的なアンバランスに原因があると思います。

 

今、世界中の富のかなりの部分を、

ごく少数のデジタル・エリートとその一族が独占しているらしい。

あやつらは、驚くべき先見の明を生かし、驚異的な努力の集中によって、

技術開発を行い、資本投資を展開し、

結果として圧倒的な寡占的なビッグビジネス状態を形成してきました。

彼らが富の独占を享受しているのは当然のことかもしれません。

 

そして世の大半を構成するぼんくらどもは、

彼らが提供してくれる新たな情報環境をこぞって入手することでしか、

自分たちの生き残りはあり得ないと考え、

目くそが鼻くそを笑うような競争に追い立てられてきました。

この目くそ鼻くそ競争は、

すでに圧倒的な地位を誇るデジタル貴族たちの専制状況をさらに強化するのみでした。

 

そして富の分配のアンバランスは加速度的に拡大していきます。

世界はごく少数の、時間を自分の思い通りに享受できる人間と、

その少数者の権利を支えるために自らの選択権を放棄した、大多数の貧者から構成されています。

貧者たちは、自分たちの行動が主体的な選択に基づいていると勘違いしていますが、

構造的な不均衡による強制に基づいていることに気がつきません。

そして自分たちのこどもたちが死に追いやられる状況に至っても、

まだ気がつかないのです。

 

DX という概念が訳知り顔で流通していることと、

僕たちの社会に殺人的な不均衡が生じていること、

僕は同根の問題だと思っています。

 

かつて問題視されることもあった、デジタル・デバイドは、

そのころは、単に、新たな技術環境に対するアクセス能力の不平等に関する問題でした。

でも今では、人類の人間社会の、根本的な矛盾そのものになってきたように思われてなりません。

 

僕のおそれている矛盾は、僕の思い違いかもしれませんし、

僕自身も理論的な整理はできていません。

しかし僕の見立てが全くの見当違いだとも思いません。

断酒ライフの継続とともに、

この問題についても考え続けていきたいと思います。

誰にも頼まれてませんけど。