僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

目ん玉と親指のお化け

飲酒歴40年、断酒歴3年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。

本日もリスボンの、まじめに時代遅れ・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

大学の講義には2種類あります。

一つは、

学生諸君に対して、

こういったことは当然、知っておくべきであり、考えておくべきですよという、

ある一定の知的レベルまで学生を引き上げることを目的とした、

教育志向的な講義です。

そしてもう一つは、

研究者としての私は、今、こんなことに問題を感じ、

そしてその問題に対してこのような方法論で取り組み、

現在、このような考え方に到達しましたよという、

学生たちを研究活動の同志と見立てた、

研究発表志向的な講義です。

 

一般的には前者の教育志向的な講義は、学部レベルの授業で行われ、

後者の研究発表志向的な講義は、大学院レベルの授業で行われます。

 

明日から行う、僕の講義の新しい章は、

学部レベルの授業ですが、あえて、僕の研究内容を学生たちにぶつけていきます。

大きなテーマとしては、「デジタル文化とデザイン」、

より論点を絞るのであれば、「デジタル機器と道具的感性ならびに身体性の変容」といった表題にまとめられそうです。

 

僕はデジタル機器やデジタル文化の利便性ならびに、その発展のある種の必然性は評価しますが、

しかし同時に、その発展に伴う、僕たちの感性や身体性の変容や欠落は、無視できない問題であると考えています。

僕は使用していませんが、スマホは思いっきり、便利な道具になったようですね。

ですのでほとんどの人が、ちょっとした空き時間にスマホの画面を見つめ、親指を駆使してそのインターフェイスに働きかけています。

僕の目には、

いい歳こいた大人が、目をしかめながら小さな画面を注視し、親指をくねくねと動かしている姿が、とてつもなく滑稽に見えます。

そして多くの場所で、多くの人びとが同時にそのような動作を一斉に行っている姿を見るにつけ、

滑稽さを感じるとともに、不思議な恐怖感に襲われ、さらには奇妙な悲しみに包まれてしまいます。

人間ってこんな生き物だったっけ?

いつからみんな、目ん玉と親指だけで世界と関わるようになったんだろう?

 

明日からの講義は、僕のこんな素朴な疑問や悲しみを切り口に、

21世紀に入ってから急激に浸透した生物としての人間の変容について、

諧謔と悲嘆を織り交ぜながら語っていこうと思います。

僕の考察が時代遅れの年寄りの寝言に過ぎないのか、

それとも人間が人間であるためのぎりぎりのラインをめぐる、心の叫びであるのか、

若者たちに判断をゆだねます。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。