僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

講義の醍醐味

飲酒歴40年、断酒歴7年と5カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、ようやっと一人前かも・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

僕は大学の教壇に立つことを職業の柱としています。

大学の授業といってもいろいろな形式がありまして、

ザクっと分けると・・・

 

講義

演習

実習

 

の3種類に分類できます。

 

これらのうち、演習と実習は、学生の主体的な作業を行わせることを柱としており、

教師は、それらの作業のデザインを考え、準備を行い、そして実施中のガイド役をつとめます。

ここ10年ほどの間に、学生の主体的な学びの重要性が叫ばれるようになり、

様ざまな学部で演習や実習が増えてきたようです。

卒業研究のためのゼミなんかも、この演習に含まれますよね。

 

それらに対して、講義は、教師から学生への一方向的な知識や思考の伝授を中心にしています。

先ほども触れました、アクティブ・ラーニングという観点からすれば、

時には時代遅れの授業形式であると非難されることもあります。

 

僕が40年近く展開してきた大学の授業形式ですが、

講義が全体の6割、演習が3割、そして実習が1割といったところでしょうか。

僕の担当授業は講義を中心としていますので、

今風の紹介でいえば、僕は古臭いタイプの教師ということになるでしょう。

 

でも僕は、信念をもって講義という形式にこだわり続けてきました。

学生たちにとって未知の知的体験をしてもらうために、

僕のもっているパーソナルな特性は、できる限り活用してきました。

授業のつかみの部分では、べたな受けネライの話を展開しましたし、

その日のクライマックスと思われる個所では、

多少、芝居がかった語り口をも採用しました。

 

学生の主体的な学び行動を引き出す、アクティブ・ラーニングも大事ですが、

ある意味で一方向的になる、語りを中心とした授業方法も、

やはりその意義や役割は重要性を失っていないと思います。

 

今日は、1講時目と2講時目に、全く同じ内容の講義を、

受講学生を入れ替えて2回繰り返す、

少しばかり負担のきつい授業の日でした。

100分授業を2回、ホンマに疲れますよ、ホンマに。

 

でも今日は、この仕事を信念をもって続けてきたよかったと思えるようなことが起きました。

 

2回目の講義の終業後ですが、数名の学生が僕の元にやってきて、

今日の講義内容について、非常に鋭い質問を投げかけてきたのです。

その質問は、3回ほど先の講義で、

時間をかけて深めて解説しようと思っていた内容にかかわるものでした。

学生たちの質問は、この建物に対する僕の解説に関するものでした。

質問にやってきた彼女・彼らは、僕の話を深く考えながら聞いていたからこそ、

高度な質問に辿り着いたのです。

まさに我が意を得たりの思いでした。

講義に最中に、学生たちの表情が納得していることを表明している時も、

仕事をうまくやれている充実感に包まれますが、

授業後に発展的な質問を僕にぶつけてくれる今日のような展開、

学術活動のエキサイティングな部分を若者たちに伝えることを、

何よりも重要な使命と考えてきた僕の思いが結実した瞬間の証でもあります。

 

引退前の最後の年に、ようやく、一つの到達点を味わうことができたような気がします。

やっぱ、酒ごときで命を落とさなくてよかった。

いつもの通りですが、断酒ライフをもたらしてくださった神様に感謝いたします。