飲酒歴40年、断酒歴6年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。
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今日は12月14日、忠臣蔵、赤穂浪士四十七士による、吉良家討ち入りの日だそうです。
講義の前口上で忠臣蔵の話を振っても、今日日の若い衆、ほとんど知りません。
ま、しゃぁないか、時代劇そのものがムッチャ、マイナーなジャンルになりましたからね。
そういう僕も、特に時代劇ファンというわけではありません。
最近、小説を読むようになりましたが、
時代小説を読むこともほとんどないっす。
登場人物の名前が覚えられないんすよ。
そんな僕ですが、
時代劇と史実のズレということについては、
一応、歴史家の一人として興味があります。
時代劇の中では、歴史を前進させた功労者のように描かれていながら、
実はたいしたことはしてなかったとか、
フィクションの世界ではムチャクチャ悪者扱いを受けていながら、
実はムチャクチャええ人やったとか、
結構あるそうですよ。
日本史の中で不当に悪者扱いを受けてしまった代表人物が、
吉良上野介義央、あの忠臣蔵の敵役に祭り上げられた人物だそうです。
一般的な忠臣蔵の物語では、
上野介は自らの役職をいいことに、実直な地方大名、浅野内匠頭を陰湿にいじめ倒し、
その恨みを買って江戸城末の廊下で、内匠頭から切り付けられましたが、
幕府は内匠頭には即日、切腹を申しつけながら、
上野介は全く、おとがめなし、
この理不尽な扱いに憤慨した大石内蔵助を中心とした浅野家の家来たちが、
一年間の準備ののちに、江戸の吉良屋敷に討ち入り、
主君の仇を討つという美談に仕立て上げられています。
しかし史実は全く異なるようで、
上野介と内匠頭の間に、遺恨が生じるほどの頻繁な接触や交渉はなかったうえに、
内匠頭は精神疾病を患っていた可能性があり、
松の廊下の刃傷事件は内匠頭の妄想が引き起こした事件だったということだそうです。
意地悪な人物として描かれることの多い上野介ですが、
幕府高家の一人として礼儀作法をしっかりと継承し、
領主としては、領民の豊かな生活を第一に考えた名君だったようです。
どうも人は、自分が感情移入をしやすい物語に対して過剰な思い入れを持ち込むようで、
特に日本人にはその傾向が強いようです。
人が感情に左右されてしまうのは仕方がないのかもしれませんが、
しかし過度な思い込みに対しては、少し立ち止まって考え直してみる必要があるかもしれませんね。