僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

祭りの有料化?

飲酒歴40年、断酒歴7年と6カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、世を憂う?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日は8月8日、ぱちぱちのそろばんの日だそうです。

それから笑いの日、パパの日、ピアノの日(鍵盤が88鍵だから)等、

いろいろな屁理屈で、特別な日なんだそうですが、

我が大津市では、琵琶湖花火大会の日でもあります。

 

 

その花火大会ですが、今年はもめ事絡みでの開催になりそう。

直接的には、

主催者側がいろいろな理由から有料席を拡充させ、

それに合わせて安全確保のためのフェンスを設置したことにより、

地元の自治会の多くが反発し、開催に反対する意見を表明しました。

主催者は、ごみの放置や交通渋滞等の様ざまな問題の存在とその未解決を認めながらも、

今後の解決に向けての努力を約束することで、開催を強行するようです。

 

僕は花火はもちろん、嫌いではありません。

でも、ムチャクチャめんどい思いをしてまで見たいかというと、

そこまでの熱意はないかな。

ですので、琵琶湖花火大会、現場で見たことはありません。

 

ところで、いろいろなところで開催されているお祭りですが、

特別な観覧席を設け、そこそこの値段をとっているそうですね。

需要と供給の原則からすれば、有料観覧席という制度、

経済的にはアリなんでしょうが、

でもお祭りの本質から考えると、ちょっとハテナ印がつけたくなります。

 

殆どのお祭りは、本来、観光目的ではないはずです。

多くの場合、神様に対する感謝の気もちを住民全員で表し、

地域社会の発展を願うことが、もともとの趣旨だと思うんですよ。

花火大会の多くも、そんなお祭りの一つの出し物として、

住民、つまり祭りの参加者の気もちを一つにまとめるために開催されてきたんじゃないかな。

 

そんな風に考えると、

お祭りの有料観覧という制度、過激な言い方をすれば、

神様に対して失礼なことをしているようにも思えますが、どうでしょう。

 

ディアスポラであり、故郷をもたない者としては、ホンマのことは分かりませんが、

お祭りの本当の主催者にとってお祭りは、生活の根本に根差している行事だと思います。

経済の原則なぞに支配され得ない、大事な何かがそこにあるはずですよね。

 

神様に感謝する気もちは、表面的な貧富の差を乗り越えるはずだと思います。