飲酒歴40年、断酒歴7年と9カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。
本日もリスボンの、今さら振り返り・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
いろいろなおかげ様があって、断酒ライフを継続できています。
意志が強い訳でもなんでもありません。
ただひたすら怖いんです、一口の飲酒が、連続飲酒というおぞましい扉を開けてしまうことが。
この扉が一度開いたら、僕たちの脳みそと身体は、理性的な判断を失い、
薬物に支配されてしまい狂ってしまった本能の言いなりになってしまいます。
そしてその先にあるのは、人間らしさを失ったままの死への、休むことを知らない行進です。
人間として生まれ、人間として育ちながら、
最期は人間らしさを完全に放棄してしまった、不細工極まりない生き物として死んでいく、
僕はそんな死に方だけはしたくありません。
8年前にそのような死にざまの一歩手前まで行きました。
あの時は、その体験に潜む恐怖を知りませんでした。
ギリギリのところで踏みとどまることができた幸運に感謝します。
習慣飲酒から連続飲酒、そして死に直結する飲酒行為の全てを体験しました。
僕の人生の中に、機会飲酒者の時期はほとんど、ありませんでした。
二十歳を前に、習慣飲酒者になっていました。
僕のこの経歴は、特別なんでしょうか。
そして僕は、習慣飲酒と連続飲酒の境界を跳び越えることはそれほど特別ではないと考えています。
幸せな飲酒習慣を楽しむことができていると信じる人びとに、
僕たちから言葉をかけることができるのでしょうか。
晩酌という習慣は、生活のちょっとした華なのか、
それとも不細工な死に向けた恐怖のプロローグなのか。
僕たち、経験者であればこそ可能な語りがありそうです。