僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

さらに今日も終活(しつこく)?

飲酒歴40年、断酒歴7年と11ヶ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、今日は少し過激に・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

スンマセン、今日も僕の、教師生活、店じまい話です。

今日は1講時目の1コマだけですが、

ここでも時々、触れてきました、僕が一番、気合を入れてきた講義科目、

現代デザイン論Bの最終日でした。

特に今回は、先週から2週かけて、

デザイン論と言いながら、障害学入門みたいな内容で、

障害の社会モデルという、

現代社会における障害者問題を考えるための最も基本的で、

しかし最も過激な考え方について、若者たちに語ってきました。

 

今朝は昨晩からの雨も残り、授業開始時には学生は3名しかいませんでしたが、

どうやら電車の遅れに伴うスクールバスの時間調整があったようで、

5分後には、いつもの顔が揃いました。

 

障害の社会モデルとは、簡単に言えば、

障害者が経験する様々な困難の原因は、障害当事者の側にあるのではなく、

障害当事者を少数者として抑圧的に扱ってしまう社会の側にあるとする考え方です。

 

例えば、今日の講義の中でも触れたのですが、

聴覚障害とともに暮らす人たちが様ざまな社会生活の中で遭遇する困難は、

僕たちの社会が彼らの言語である日本手話を理解していないからであり、

彼女たちの耳が聞こえない、あるいは聞こえにくいという、

個人のインペアメント(医療的機能欠損)が原因ではないというようなことです。

 

研究者としての僕のキャリアの後半は、

この障害の社会モデルに基づいた考え方と、

芸術をどのように橋渡しするかということに力点を置きました。

 

つまり今日の授業は、僕の人生の一つの節目でもあったわけです。

 

そして講義の最後の部分では、

日本の社会が LGBTQ の人たちに対していかに無理解なままか、

特に多くの政治家たちがいかに無知で不勉強であるかについて、

10分ほど、怒りの解説を展開しました。

LGBTQ の人たちは、インペアメントという考え方からは障害者としては捉えられませんが、

社会の無理解によって不当な抑圧を受けているという点で、

障害者として捉えることができます。

 

若者たちは僕の魂の叫びを、真剣に受け止めてくれました。

 

講義が終わった後で、

LGBTQ 当事者の学生1名、ADHD 当事者の学生1名、そして中国からの留学生1名と僕の4名で、

さらに議論が盛り上がりました。

 

大学とは、知識を伝授する場であるよりも、知識を獲得し、活かすための知の力を鍛える場所です。

僕は僕にとって理想に近い形で、僕のキャリアの一つに節目をつけることができました。

こんな幸せなことはありません。

酒ごときで死ななくてよかった。

ホンマ、断酒ライフしか勝たん!