僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

爆弾を SNS に落としてしもたかも・・・

飲酒歴40年、断酒歴8年と1カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、ブーメランかも・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

「勝手に宣言。
歌詞カードを見ながら歌うシンガーに投げ銭は投げん!」
 
何をイキって怒っとんネンと思われるかもしれませんが、
スンマセン、イキって怒って?ます。
 
このイキったセリフですが、
今日僕が、高齢者の SNS である FaceBook に投稿したフレーズです。
 
ちょっと背景から説明します。
 
マチュアジャズ・シンガーがライブ演奏を行う時に、
多くの場合、料金は投げ銭制に設定されることが多いようです。
ま、アマチュアですから、あらかじめ入場料を決めておくというのは、
少々、生意気でしょうし、
それから下手な料金設定をしてしまうと、集客が望めなくなるかもしれませんよね。
 
で多くのアマチュア・シンガーは、譜面台に歌詞カードを置いて、それを見ながら歌います。
歌詞を間違えたくないという思いからでしょうが、
しかしこの事態に対して、僕は二つの点から感心しないなと思っています。
 
一つ目。
十分な練習を積んでいないことを自らバラしてどうするんすか。
たとえアマチュアと言えども、お客さんに集まってもらって聴いてもらおうというのであれば、
演奏に向けて十分に準備を積むべきですよね。
 
そしてシンガーにとって十分な準備というのは、
歌う曲をしっかりと理解すること、
しっかりと理解したうえで、自分なりの表現ができるように歌い込んでおくこと、
この二つのプロセスが必要です。
 
歌詞カードを見ながら歌うという事態は、
今、歌っている歌について私は十分に理解してませんよと言っているのと同じです。
さらに言えば、歌詞が頭に入るほどには歌い込んでませんよと宣言しているのと一緒です。
オーディエンスをなめてるといってもいいでしょう。
 
二つ目。
これは僕の経験から感じることですが、
シンガーにとって歌とは、
詩であり音楽です。
詩は言うまでもなく言葉であり、純粋に音楽的な要素とは異なる位相をもちます。
詩という言葉の要素と、リズムやメロディーといった音楽的な要素は、
恐らく脳みその中で処理する領野が異なると思います。
 
言葉である詩が十分に頭に入っていないシンガーが、
音楽的な要素に対しても十分な配慮ができるとは当然思われません。
 
僕も、かつては十分に歌いきれなかったメロディーをもつ曲に対して、
その詩を完全に頭に入れてから練習することで、
飛躍的に上手く歌えるようになり、自分の曲とすることができたことが何回もあります。
 
やっぱり、シンガーたるもの、少なくとも歌詞は完全に頭に入れるべきですよね。
 
そう思って投稿したのですが、
投稿してから、これはブーメランに化けるかもしれへんとビビり始めました。
それから、反論が山盛り、来るんじゃないかとも恐れ始めました。
スンマセン、小心者です。
 
今のところ、賛同するコメントをいくつか投稿していただいています。
後は、僕自身の音楽活動で嘘つきにならないようにすることですね。
ハイ、自分で自分を縛りました。
でもいい縛りになると思います。
 

昔のフォーク・シンガーにはこんなスタイルの人が多かったようです