僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

やっぱり歌詞は覚えなければ

飲酒歴40年、断酒歴8年、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、多分、正論・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

昨晩は月に一度のポップス・セッションのホスト・ピアニストの日でした。

ホストを勤めると、やはり音楽的な面だけではなく、いろいろと気を使うようで、

今朝の目覚めは、見事に6時、僕としては寝坊でした。

 

失恋ほぼ確定明けの日曜日、特に予定はありませんでしたので、

学生のレポートの採点やピアノと歌の練習、そして買い物で、

のんびりとした一日の過ごし方だったと思います。

 

弾き語りヴォーカリストとして僕が独自に取り組んでいる試みとして、

ポップスナンバーを独自の解釈でジャズの弾き語りに変換することがあります。

取り上げるポップス・ナンバーには特に決まりはなく、

要は僕が気に入って、そしてアレンジ次第で僕が歌えそうな曲ということになります。

 

曲を選ぶ際に僕が重視しているのは、メロディーや原曲の曲調よりも、

詩の内容です。

ヴォーカリストがもっているアドバンテージとして、

言葉を伝えることができることがあげられると思います。

歌を歌う以上、この、言葉をメディアとして用いることの利点と難しさについて、

ヴォーカリストたるもの、大いに考えるべきでしょう。

 

僕はこの点において、多くのアマチュアのジャズ・ヴォーカリストの態度には不満があります。

 

例えば、歌詞の意味を全く理解していないにもかかわらず、

外国語の曲を怪しげな耳コピで歌うこと、

これは言語道断です。

その曲の作詞家に対して、失礼極まりないといってよい。

歌の詩は、簡単には書けません。

作詞家もクリエーターとして、渾身の熟慮やひらめきの中から言葉を絞り出しています。

 

そして次に僕が疑問に思うのは、歌詞を覚えずに、ノート等を見ながら歌う輩です。

歌詞を間違えたくないということでしょうが、

ジャズ・チューンの歌詞は、長文になることはほとんどありません。

つまり歌詞をカンニングしているヴォーカリストは、

十分な練習をしておらず、歌詞の内容も吟味していないのです。

 

ここまで、厳しくディスってますが、

実は僕も、歌詞を見ながら歌うことがあります。

というか、その方が多いかな。

 

でもこれはやっぱ、ダメです。

どうダメかというと、クリエイティブに歌うことができないんですよ、

歌詞が頭に入っていないと。

 

歌詞が完全に頭に入っていれば、例えば、

その場、その場のアレンジの進行に合わせて、

メロディーやリズムに即興的な工夫を施すことができます。

これこそがジャズの音楽としての本質や創造性にかかわる部分です。

 

以前から考えていたのですが、

伝説のロックバンド、クリームの White Room をジャズ・ピアノ弾き語りで歌うために、

昨日から歌詞の暗記に取り組み始めました。

まずは1行目を完全に頭に入るまで、繰り返し、歌います。

そして安定してきたら、1行目、2行目と歌う範囲を拡大していきます。

経験上、この覚え方が一番、早いようです。

 

ただ情けないことを報告しますが、

4行くらいの歌詞に挑戦する頃には、

大脳から疲れたよーサインが出てくるようになり、

ちょっとした頭痛を感じるようになります。

 

ハッキリ言います、

これは華麗なる加齢の結果です、ハイ。

 

何とかこの頭痛を乗り越えながら歌詞を頭に入れていきますと、

徐々に歌い方やバッキングのピアノのアレンジにも、変化が現れ、

僕なりの White Room の片鱗が見えてきます。

 

今週の水曜日に予定されているライブイベントに間に合うかどうか分かりませんが、

挑戦するだけ挑戦してみようと思います。

 

46歳差の恋愛は、寂しい終わりを迎えそうですが、

でも新しいことに挑戦し続けることで、

レベル65の青春を謳歌していきます。

Viva! 断酒ライフ!