僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

僕の飲酒人生、依存症、そして肝硬変発症に至るまで(7)

緊急入院を指示された日、僕は診察を受けた後、仕事に行くつもりでしたので、入院への覚悟はおろか、身支度も全くできていませんでした。
とりあえず勤務先に電話し、また家内にも基本的な身の回りのものを届けてくれるよう、連絡しました。

救急車で搬送された当初、僕は僕の身体的な危機に対する自覚は殆どありませんでした。
しかし実際には、相当、深刻な事態であったことは、入院した後の医師や看護師の皆さんとの会話、そして入院後の僕の生活のあり方を客観的に振り返ってみた時に、少しづつわかってきました。

僕は、単に肝硬変を発症していただけではなく、肝性脳症も発症していたのです。

後から考えると、入院当初は、かなり頓珍漢なことを先生や看護師の皆さんに言っていたようです。
あまり不気味なものではありませんでしたが、幻覚も見ました。

そして、おそらく入院寸前の僕は、アルコールによるかなりの負担を体にかけていたのでしょう、ほぼ、寝たきりになってしまいました。

依存症を経験され、現在、断酒を継続されている諸先輩のブログには、断酒当初の禁断症状のつらさに関する記述が多く記されています。
ところが僕の場合、何故か、入院後の当然の強制的な断酒に伴う禁断症状は、全く現れませんでした。
入院したその日の夜に酒が飲めない精神的なつらさを感じましたが、しかしその苦しさも初日だけでした。
なぜ、身体的な禁断症状を免れたのかは不明ですが、しかしラッキーでした。

家内に、仕事に関する書籍も届けてもらいましたが、肝性脳症のため、構文すらもつかめません。
(僕の仕事には、外国語で書かれた文献の精読もふくまれます。)
院内を歩き回ることもできません。
当然ながら、ベッドの上で眠っているか、テレビを見るか、iPod で音楽を聴くぐらいしか、することがありません。

そして僕が入院して2週間して、清原が覚醒剤の所有ならびに使用で逮捕されたのです。

僕は特に清原のファンというわけでもありませんし、野球ファンというわけでもありません。
しかし、ほぼ同じ時期に、依存症を断ち切るための闘いを余儀なくされたという点で、勝手に清原を同志に見立てたのです。
俺がつらい時に、清原はもっとつらい思いをしているんだと思うと(向こうは覚醒剤だしね)、励みのプラスになると思いました。
退院した今でも、清原がどうしているのかが気になります。
彼に関する報道はめっきり減りましたが、向こうは相当つらいと思います。

寝たきりの生活から、少しは車椅子での移動が可能になり、退院の2週間前からは、歩くためのリハビリにも取り組ませてもらいました。
病室に缶詰にされていた身にとって、1日1回だけですが、院内のリハビリテーション・センターへの移動は、まるで華やかな都会に出かけるような、うれしさがありました。
また、リハビリテーション・センターでリハビリに取り組む人たちの、楽しみながらも一生懸命に頑張る表情、そしてインストラクターの皆さんの見守る姿、これも、僕の頑張るためのエネルギー源になりました。

(続きます)