僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

自己中と第三者目線

自己中。
カタカナでジコチュウって書いた方が相応しいのかもしれません。

僕はおそらくは、基本的にはジコチュウな人間だろうなと思います。

おそらく、断酒生活に入る前は、相当いやな、ジコチュウ野郎だったんでしょう。
ジコチュウだから、自分のキモチ世界の中で、(もしかすると自分のキモチ世界の中だけで)
つじつまを合わせ、楽しくするために、酒を飲んでいたのかもしれません。

だから健康診断の結果現れる数字という客観的な判断は無視し、
ゆっくりと自己破壊の道を進むことができてしまったんだろうな。

でも今回、入院寸前の僕の体に現れた様ざまな危険信号を振り返ってみたり、
入院後の検査結果の数値の推移を確認すると、
客観的な物差しを伴わないジコチュウ感覚は、むちゃくちゃ危険で幼稚なものであることを知ることができました。

入院前、なぜ、洗顔の度に鼻血が出たのか。
血小板が減少していたから。
入院前、なぜ、自分の名前を書こうとすると手が異常に震えたのか。
アルブミンが不足していたから。

もちろん、これらの用語や数字の本当の意味は知りません。
概念的にぼやっと想像できるだけです。

ンでも、悔しいことだけれど、科学的客観的数値っていうやつには、一定の敬意を払う必要がありそうですね。

一昨日のライブ演奏でも、似たようなことを感じました。

一昨日は、リハーサル中も本番中も、ドラムスのH君のテンポが常に走りがちであることが非常に気になりました。

ベースのM君の話によると、かつての僕もH君と同じように、本番中には走っていたようです。

即興演奏を基本とするジャズにおいて、バンドのプレイが走り気味になることは、よい場合と悪い場合があります。
プレイヤーとリスナーのノリの感覚が一体化してくると、演奏は走り気味になる傾向が強まります。
この場合は、よい場合です。
プレイヤーが曲の進行について自信をもって理解していない場合も、演奏は走り気味になります。
これは、明らかに悪い場合です。

断酒前の僕は、演奏が走っていることと、バンドが乗っていることを混同し、ジコチュウ的にこれは気持ちがよいと判断し、容認していたようです。
これは、バンド・リーダーとしては決して良い方向ではありません。

断酒後、初めての演奏となった一昨日のライブでは、演奏しながらバンドの音と自分の音をじっくりと聴くことができました。
その結果、(かつての僕と同じように)ジコチュウでノリを求めてしまうことの不具合がわかったのです。
三者的な目で自分の動きを判断することが、少しだけできるようになったようです。

もちろん、最終的な僕の行動規範は、ジコチュウ的な判断を基準にするでしょう。
でも、そのジコチュウ的な判断の一過程に、少しでも第三者的な目線を導入することは、僕の今後の活動に幅を与えてくれるだろうな、と期待しています。

もうすぐ、本格的な社会復帰を迎えます。
不安と希望、希望と不安。
ようやっと少しだけ知り合いになれた第三者的目線君。
この友達を大事にしていきましょう。

今日も皆さん、そして僕も、ご機嫌さん、LWOA Life Without Alcohol。
楽しい、断酒ライフを。