僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

久々の出会い

昨日も、全体としては特に変わったことのない、静かな一日でした。

午前中は家事と、土曜日なので勉強はせず、のんびり、テレビやネット三昧。

昼からは、滋賀県民証(Hop Card ともいいます)を携帯し、県民共同使用市場(平和堂ともいいます)へ。

と、共同使用市場W店の3階で、ふとどこかで見たような顔が。

約、10数年前に僕を障害者福祉の世界に引き込んでくれた、Fさんの姿ががそこにはありました。

病身のFさんは、現在は入退院を繰り返しながら生活しているそうですが、かつては障害者福祉専門員として、平成の大合併以前の僕の地元の社会福祉協議会で、バリバリに活躍されていました。

10数年前の僕は、ふとしたことから高齢者介護の世界にボランティアとして足を踏み入れることになりました。そして僕がボランティアをしていた高齢者の通所型介護施設と、Fさんが仕事をしていた社会福祉協議会が同じ建物にあったこともあり、Fさんの方から僕のに対して、ボランティア活動の協力依頼があったのが、一緒に活動をするようになったきっかけでした。

Fさんにしてみれば、たまたま近くに(暇そうにしている?)ピアノを弾く大学の教師がおり、きっとこいつは手伝ってくれるに違いないという、軽い確信のもとに声をかけたのでしょう。
でも、僕にとってその時のFさんからのお誘いは、僕の人生を決定づけました。

知的障害児・者福祉活動と芸術活動を結びつけること。
その実践活動と理論的背景を探ること。

デザイン史研究からスタートした僕の研究者生活は、僕の内側の様ざまな葛藤の中で変化し、そしてFさんとの出会いによって、障害学と芸術学の架橋を目指すという、一応、独自性をもった方針に裏付けられることになりました。

いわば、Fさんは僕の人生の導き役であった訳です。

先ほども記したように、現在のFさんは入退院を繰り返しながら生活されています。事実上の引退生活にあるとお見受けしましたが、僕たちにとって、少なくとも僕にとっては、僕たちの地域の活動の精神的なシンボルであることには変わりはありません。
肝硬変を発症し、その結果、身体能力が落ちて少しは障害者の感覚を身をもって追体験できるようになりましたよ、と報告すると、Fさんは笑ってくれました。


皆さんも僕も、今日もご機嫌さんで、LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフを。