僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

グルメ

グルメ 食通 食べるのが好きな人 食べることに喜びを感じる人

似たような言葉を並べてみました。

でも、食に何らかの快感を見出す人を表す言葉、他にもいろいろあると思いますが、
それぞれに指し示す範囲は異なりそうですよね。

グルメ、或いは食通という言葉には、やはり外食文化という事が前提としてありそうですし、
ただ食べることが好きな人だけではなく、調理をすること、調理の準備のために工夫を凝らすこと、美味しいものを食べるためにいろいろなところへ移動することが好きな人、味覚もさることながら一度に食べる量に快感を見出す人。
また、テーブルメークなんてことに生きがいを見出している人もいるでしょう。

それから同じく食に関わることとはいっても、メインのいわゆる食事なのか、間食なのか。
味覚を中心とした食そのものにこだわりをもつのか、場や出会い、空間を共有する人を大事にするのか。

人間は動物ですから、食、食べることに関する欲望は、限りを知らないともいえそうです。
そしてその追求のエネルギーが文化の根底にあるのも事実ですし、人間という生き物の最も醜い側面の根底にあることも事実でしょう。

さて、大きな話はさておき、かつて僕は、グルメであった、或いはグルメでありたいと思っていた、つまりグルメに憧れていました。
たとえムチャムチャ高価ではなくとも、家ごはんであれ外食であれ、旬のおいしい素材を活かした食事を楽しみたいと思っていました。

今でも基本的な気持ちは変わっていないと思います。

ただ、求める美味しさの質が変わってきたかもしれません。

以前よりも、素材そのものの素朴な味わいを感じたい、様ざまな調理の技巧ではなく、全ての食材が命であることを感じながら食べたい、と思うようになってます。

そういう意味では、世にはびこるラーメンブームは、僕には無縁のものです。
手の込んだラーメンが素材の味を殺しているとは思いませんが、やはり加工や調理の人為的な工夫が大きくものをいうジャンルでしょう。
或いは、元より経済的にも無理なのですが、ミシュランの星いくつというレストランでの食事も、無縁のものでしょう。
全く興味がないわけではありませんが、棚ぼた式に誰かからごちそうされる機会がない限り、特に興味はありません。

僕の中のこんな風な素朴な味わいへの本能的な回帰が、加齢による当然の現象なのか、それとも肝硬変を患ったことがその原因なのか、或いはアル症者となり断酒生活をおくるようになったことが関わっているのか、本当のことは分かりません。

多分、全部、関係しているでしょう。

そして一番の根本にあるのは、発病しながらも生活することができていることに対する感謝の気持ちのような気がします。

「唯足るを知る」

若くてエネルギーと向上心に溢れているときには、知り得ない境地だと思います。

もちろん、断酒入門者の僕に分かったことをいうような資格はありません。
でも、そんな素朴な生活とそれを支える生活環会得の入り口を覗くことはできているんじゃないかな。

矛盾するかもしれませんが、世界中のいろいろな素朴な食を楽しんでみたいと、夢見ています。

今日も皆さん、そして僕も、ご機嫌さんで LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフを。