僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

なぜ、飲んでいたんだろう(再)

肝硬変入院、アル症診断から4カ月、5カ月、断酒ライフ継続中のリスボンです。
ブロガー・ネームをリスボンにした理由、忘れてます。

パソコンを買い替えた際に、Yahooにブログを開設し、放置していたことを思い出し、ブログの再開の際にリスボンと名乗ったようです。
多分、ポルトガルとスペインを2週間かけて旅をして帰国してすぐのころのことだったのかな。


ブログ村の先輩方のブログを読んでいますと、飲酒習慣に溺れていた時期について、概ね、皆さん、断酒ライフの継続のためのモチベーションをしっかりともつためもあり、否定的に書かれています。

確かに、僕たち問題飲酒者は、飲酒によってまわりの誰か、そして自分にいろいろな迷惑をかけて暮らしていましたよね。
僕の場合、家族には(特に飲酒行動の末期)迷惑をかけました。
自らには、肝硬変という目に見える結果を伴う大迷惑をかけちゃいました。

でも僕は、全てを後悔というネガティブな感じ方の中で総括するのも、少し違うような気がします。

問題飲酒行動期の自らの行動を積極的に肯定しようというわけではありません。

アル症になってからは、脳みそにあいた傷口をとりあえずはごまかすために酒を飲み続けたわけですが、
アル症になる以前は、もっと酒を飲むもっと違う理由があったと思うんですよね。

ところが、幸か不幸か、その理由が時間がたてばたつほど、ぼやけてきています。

美味しい食事と美味しい酒。
確かにそんな楽しみ方をしていた時もあったかな。

会食の際は飲酒がつきものでしょ。
僕の場合、同僚と飲むことはなく、家の外で酒を飲む際は、普段は顔を合わさない仲間との会食が殆どでしたので、それは楽しい時間だったように思います。

そして、新しい世界を開示してくれるかのような音楽を聴きながらの酒。輝かしい音世界を一層、輝かしく思わせてくれる効果を酒がもたらしてくれるように感じていました。
僕の場合、特に若いころの飲酒は、このある種、ディオニソス的な興奮を手軽に得るための手段だったような気がします。

でも、そのような興奮も、断酒ライフの継続の中で印象が弱まってきました。

以前にも少し書きましたが、幸いなことに(と書いていいと思います)、僕の中でかつてはあんなに支配的であった飲酒欲求は、その理由がボケつつあることによって、脳内での地位がかなり低下しています。
脳内の王様の第一の側近であったアル症意欲君は、今や脳内宮殿の末席にいます。
最終的には出てってもらえればいいんですよね。

僕は今のところ、アル症意欲君の再登場を抑えることができています。
そしてそのことを今日は、嬉しそうに報告しています。

スリップしそうになったら、もちろん、先輩方の様ざまな経験を読み返しつつ、
「ワレ、えらそうないっちょ前のこと言うとったやんけ」、と今日の投稿を読み返し、ブレーキをかけようと思います。

ごめんなさい、少しばかり生意気な報告になりました。

でも、今日も皆さん、そして僕も、ご機嫌さんでLWOA Life Without Alcohol 断酒ライフの継続を。