僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

酒をやめるぐらいなら

飲酒歴40年、断酒歴2年と3か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、アル症判定法?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。



今日は時間管理の面からはそれほどハードなスケジュールではなかったのですが、

仕事先が2か所にわたったため、
少しばかり疲れ気味です。
しかも1か所は、新しい友達たちとの出会いの時間でした。

でも、ストレスまみれのいやな疲れではないので、
機嫌よう、パソコンのキーをしばいています。



「酒をやめるぐらいなら、死ぬ方を選ぶわ」

僕もですが、
アル症者の大半が飲酒時代にぶちかましていた強がり啖呵の一つですよね。


今思えば、強がり啖呵なのですが、

飲酒者当時は、本気でそう思っていました。

で、僕の場合、ホンマにシャレにならずに、
あのまま飲酒を続けていたら、

肝臓がんを発症して病床でボロボロの体で死ぬか、

授業中に食道静脈瘤が破裂して、
若者の目前で、
大量の吐血とともに死ぬか、

どちらかの最期を迎えていたでしょう。


2年3か月前に肝硬変の診断を受け、

さらにアルコール依存症であることが明らかになり、

めでたく断酒ライフに入門できました。


そして心が入れ替わり、生活が改まったことにより、
今では死ぬことよりも生きていることのほうが断然、おもしろいことをいや程、感じています。

今の感覚からすれば、
 
「酒をやめるくらいなら死ぬ」という啖呵は、
ホンマに大馬鹿丸出しのヴァンパイヤのセリフでしかないのですが、

あの時は単なる啖呵ではありませんでした。

酒を取り上げられるのなら生きている価値は全くない、
と感じていましたよね、真剣に。

でもこの真剣さこそが、アルコール依存症のなせるわざでした。

他人から酒を控える、あるいはたしなめられることに対して、
本能的に抵抗感を感じてしまう、

これこそが、アル症ヴァンパイヤの動かぬ証拠でした。


周囲にヴァンパイヤのセリフを疑いもせずにのたまう輩がいたら、
十中八九、その人物はアル症でしょうね。


ヴァンパイヤは何を言ってもヴァンパイヤのままですからどうしようもないのですが、

ヴァンパイヤ氏がヴァンパイヤでない時に、
ゆっくりと僕たちのことを話すのがいいのかもしれません。

もちろん僕たちも知っていますが、
ヴァンパイヤの扱いはとてつもなく厄介ですが。


僕たちはヴァンパイヤに戻らないことを念じつつ、いつものように

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。