僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

父の日

結婚24年

長女、大学2年生
長男、高校1年生
嫁さん、地元スーパーでパート

アル症と肝硬変、ダブルパンチ・リスボン、57歳です。


昨日は父の日(だったそうです)。
わが家は珍しく、下宿中の長女以外、嫁さん、長男、そして僕の3人が朝から家にいました。

普段、長男は平日は勉強、休日は部活動(サッカー)で日中は家にいないことが多いし、
嫁さんは、毎日ではありませんが、基本的には週、4日から5日、午前中はパートタイムに出ています。
僕も仕事に本格的に復帰いたしました。

(といっても、だいぶ以前にも書きましたが、僕の職種は特別で、勤務時間はあってないようなものですので、9時から5時で働いているサラリーマン諸氏とは、時間の使い方はかなり違います。)

日曜日、全員集合です。

で、父の日ですが、当然、あえて強調しましょう、当然、なにもありません。

なぜ、当然か。

二つくらい理由はあります。

一つ目。
今さら父の日っていう家族年齢でもないでしょう、という年月の経過。

いい意味でも悪い意味でも、こどもたちは家庭から離れていきます。
自立していきます。

少なくとも我が家の場合、長女は、生活様態としては、家族と世帯を別にしています。
連絡を取ることは殆ど、ありませんが、大学生活、楽しんでいることと思います。

長男も、まだ家から通っていますが、彼の生活の中心は我が家ではないでしょう。

嫁さんも、2年前からパートを始めました。

家族全員にとって、家庭が生活のど真ん中にあるわけではなさそうです。

そして二つ目の理由。
アル症者になり、末期肝硬変の患者になった僕は、おそらくは父としての精神的な資格を、失いました。

元々、僕は、家族の中心にはいませんでした。
家庭を顧みない男ではありませんでしたが、常に酒を飲んでいました。

嫁さんが僕の仕事にまったく興味を示さないので、こどもたちも僕の社会的アイデンティティーについては、関心をもちませんでした。

僕がたまに研究出張で海外に出かけても、誰も土産に興味を示しませんし、ましてや土産話を聞こうとも、現地で撮った写真を見ようともしません。

そしてそんな僕に、肝硬変による身体的変化が現れ、家族に明らかな迷惑をかけ、いらぬ負担をもたらす事態がやってきました。

無事、退院し、断酒ライフを送っています。
僕たち断酒者にとっては、これほど喜びに満ちたことはないのですが、
僕の家族は、断酒者ではありません。
僕たちにとってすごいことが、彼女/彼らにとっては、当たり前のことであり、褒めることでもなんでもないのです。

加齢と肝性脳症の両方の理由から、認知症のおそれも出てきたオッサン、
そんなオッサンに、「お父さん、いつもありがとう」という平和な感覚を素朴に楽しむわけにはいかない、家族たちの心情も理解できます。
いや、理解しなければなりません。

そんなわけで、なにもない「父の日」でした。

でも、生きていきます。アル症者として。

今日も、皆さん、僕もご機嫌さんで、LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフの継続を。