僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

200日

アル症と肝硬変、どちらも表面的には安定しています。
でも、油断は禁物、残りの人生、綱渡り、バランスが大事ですよね、闘病生活者、リスボン、57歳。
本日も、わがまま・ノープラン・独善ブログ、ご訪問、ありがとうございます。


さて、昨日で、断酒ライフの継続、200日を達成しました。
先ほど、ワン太の(といってもレディーですが)散歩中に気が付きました。
つまり僕のなかでは、断酒継続の日数に対して、それほど強いこだわりはなくなっていたということでしょう。

退院してしばらくは、そしてこのブログを書き始めてからは、半年や200日って、相当、印象的な、記念日になるんやろうなぁ、と想像していました。
でも、いざその日を迎えてみると、昨日も今日も、そして明日もおんなじ、死ぬまで、見た目は安定しているけれど、一歩間違うと奈落の底に真っ逆さまの、危険な綱渡りの日々を送らなければならない、ということに関しては、何の変化も起こっていないんですね。

そぉ、毎日おんなじです。おんなじ、つまり一口も酒を口にしないということを守りつつ、機嫌よく暮らしていく、それだけですよね。それだけですよ、僕たち、アル症者がやらなければいけないのは。

さて、昨日は月に一度の、消化器科の検診の日でした。
先生いわく、
「良くも悪くも、安定しています。肝硬変の真ん中の段階で止まっています。お酒を頑張ってやめ続けてる限りは。」
とのお見立て。
僕も、血液検査の表から、素人ながら、先月の表と数字があまり動いていないなぁ、ということはわかりました。
つまり、表面的には安定している、パッと見は健康に見える、ただし、飲酒によって間違いなく坂を転がり落ちる、ということでしょう。
安定しているという検診評価ですが、裏を返せば、ちょっとでも油断すれば、とんでもないことになりますよ、ということです。
一見、健康に見える重篤な病人なんですね、僕は。

とりあえず次の検診で胃カメラを飲みます。んげ~っ。


昨日、とても嫌な殺人事件が起きてしまいました。
神奈川県の重複障害を含む知的障害者の施設に、元職員が乱入し、入居者十数人を刺殺したというものです。
まだ事件の背景や容疑者の人間像が明確ではないので、この驚くべき事件について、突っ込んだ考察はできません。
おそらく落としどころとしては、

容疑者の個人的な異常に基づく悲劇

あるいは

福祉の現場が置かれている悲惨な労働環境を遠因とする、社会的悲劇

といったあたりが有力です。

でも、何か別の話題の持って行き所もありそうな気がします。

一つ、気になっているのは、重篤な重複障害とともに暮らす知的障害者のみなさんに、どのような照明が当てられるか、という点です。
むちゃくちゃ稀有な、悲劇としてクローズアップされるのか、
いやいや、すぐお隣にいらっしゃいますよ、人間としてとてつもなく特別な方々ではありませんよ、僕たちの仲間ですよ、という紹介のされ方がされるのか、
という点です。

障害者に社会の関心が向けられるのは良いことなのですが、悲劇のヒーローに祭り上げることだけは、実は避ける必要があります。
悲劇のヒーローとしてのとらえ方は、どうしても個人に照明を当ててしまい、障害者一般が立ち向かうべき社会全体の問題が側面視されてしまう傾向を引き起こしがちになります。
当たり前のヒューマニズムは、社会のひずみの真の姿を隠してしまう可能性をはらんでいます。
この辺りには注意しておきましょう。


僕は元気です。
皆さんも、元気に、そしてご機嫌さんで、僕もですが
LWOA Life WIthout Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。