僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

お金の話

昨日に続いて、涼しい朝。
もしかすると、もうすぐホット・コーヒーの季節?
季節は間違いなく動いています、アル症と肝硬変、決められた時間に向かって一歩、一歩、悪友たちと歩んでいきます、
リスボン、57歳。

今日もリスボンの、自己チュウ・独善ブログ、ご訪問ありがとうございます。


タイトル、ちょっときな臭いにおいがします。

今の僕は、取り立ててて経済的に困ってはいません。
しかし、僕の可処分所得は、ほぼゼロです。

もともと、外で飲むことも少なかったのですが、今では、アルコール類にお金を使うことは全くありません。

趣味といっても、ウォーキングと音楽、
ウォーキングも別にシューズに凝っているわけでもないし、
音楽も、新しい楽器やCDを買うこともありませんので、
どちらにもお金をかけることはほとんどありません。

日々の食事、びっくりするほど、質素です。
たまに外食しても、とにかく安さを追求、その結果、昼食であればスーパーで弁当やパンといった類になります。

お出かけも、海外も含めて、全て公費で賄えるように、仕事を絡めます。

むっちゃ、質素な生活をしています。

かといって、貧乏くささを自覚することはありません。

というのも、家が無駄にでかいからです。

というよりも、無駄にでかい家を建てて、無理なく支払えると錯覚していた時期があったから、今の倹約生活があるのです。


僕が就職したころ、1993年ですが、僕の勤めている大学教育という業界には、まだ勘違いバブルの名残がありました。

ボーナスが年間、4か月分くらい、支給されました。
職位は上がりませんでしたが、給料は上がっていきました。

僕の当時の収入状況は、今のでかい家を建てるくらいのローンを十分可能にしました。

そして、ある程度の不動産を所有することが、人として一人前の証であると、僕も勘違いしていました。


僕たちの業界は、それから10年が経過したときに、業界全体がとんでもない勘違いをしていたことに気が付きました。
しかし、業界内でのし烈な競争はその後も続いています。

かつて、大学の教員といえば、好きな研究に思う存分力を入れ、その成果を社会に発信していけば、その社会的な責任は十分果たせる、おいしい立場であると思われていました。
でも今では、研究よりも、教育、そして学生確保という営業活動に奔走させられます。

教育、といえば聞こえはいい。
でも、その実態は、高校生まで勉強のべの字もしてこなかった若者たちに、読み書きと礼儀のイロハを叩き込むことにほかなりません。

学生募集も、もうどの大学も手が尽きています。
大手はまだ有名人を導入するという手がありますが、中小は、自らの工夫で何とかするしかないのです。
工夫といえば、これまた聞こえはいい。
しかしそれも、薄利多売をいかに実践するか、あるいはもっと言えば、利益が上がらなくてもいいから、当座の資金が回転するようにするためにはどうしたらよいのか、ということに力を注ぐことなのです。

こんな時代ですから、とりあえず職籍があるだけでもありがたいことだと思わなければなりません。
可処分所得がどうたらこうたらという贅沢をいえる余裕はないのです。

ここでありがたいのが、金がなくても十分に生活を楽しむことができる資質に、僕が恵まれていたことです。

かつては、贅沢な外食にあこがれていました。
でも今は、家庭での季節感が十分に生きた、つまり旬の安い素材を使った、素朴な食事こそが、ホンマにおいしい。

人の演奏を聴くのは、もともとあまり好きではありません。
自分がやりたくて、むずむずするからです。
おかげさまで、他人様の前で演奏する機会もたまにいただけます。

美術館には、(どこかのかつての知事と違って)堂々と研究費を使って訪れることができます。
年に1回あるかどうかですが、出張費で海外にも行けます。

そして、自然に恵まれた住環境の中で、生活ができています。
今僕の目の前には、パソコンの向こう側の窓から庭の緑が広がっています。
朝日も昇ってきました。

もしかすると僕は、とんでもない贅沢を手に入れたのかもしれません。

様々なものに感謝しつつ、皆さん、そして僕も今日もご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続しましょう。