僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

グレッグ・レイク

アル症と肝硬変、悪友二人とスーパー・タッグ、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、思いつき・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


プログレッシブ・ロックの立役者の一人、グレッグ・レイクが亡くなりました。
69歳、死因はがんだそうです。

大学入学後、大学での学習以上にバンド活動に重きをおくようになった10代から20代の僕にとって、
イギリスのプログレッシブ・ロックは、すべての点において目標でした。

当時のイギリス・プログレ界は、
レコードセールス等で商業的な成功を収めていたイエスや、ピンク・フロイド
商業的な成功も収めながら我が道を進んでいたキング・クリムゾン
一部の熱狂的なマニアに支えられていた、いわゆるカンタベリー・ファミリー、
そして、現代音楽やフリージャズに近い前衛派など、
まさに百花繚乱の様相を呈していました。
そしてそこに、
やたらめったら重たいテーマに取り組んでいたジャーマン・プログレの幾つかのバンド、
異星人に扮していたフランスのマグマといった異色のバンドも絡み合い、
面白い状況が展開していました。

そんな中で、
クラシックのテクニックに裏付けられながらも狂気じみたトリッキーなパフォーマンスで知られたキース・エマーソンを中心とした、ELP
ELPは、「展覧会の絵」の大ヒットなどのように、商業的にも大成功を収めつつ、
キーボード中心のトリオという、ロックバンドとしては異色の編成で、
ロックファンのみならず、クラシックファンからも注目を集めていました。

そのELPのアンサンブルの要をこなしつつ、抒情的な音楽性を担当していたのが、
グレッグ・レイクでした。
どうしても、器楽的なアンサンブルの面白さの追求に重きをおきがちなプログレッシブ・ロックにおいて、
前衛性と詩的な感性を見事に融合させていたグレッグ・レイクは、
メジャーな存在でありながらも、稀有な才能であったということもできるでしょう。

若い頃はキーボードとサックスを担当していた僕にとって、
グレッグ・レイクは直接の影響を受けた存在ではありませんでしたが、
気になる存在でした。

おそらく彼の死は、薬物とは全く無縁でしょう。
偉大なる才能の一人がまた神に召されてしまいました。
時代の移り変わりを認めざるを得ません。

でも時代の変化に対応するためにも、皆さんも僕も今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。