僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

僕たちは頑張らなければならないのか

秋深し、9月の手術以降、胃の調子が戻ってきたようで、食欲の秋に困っています、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、今日もややこしいよ・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


昨日はカミングアウトという場面から僕たちの生きづらさについて考えてみました。

もちろん、簡単に結論は出ません。

僕は正直なところを言うと、気楽にカミングアウトしたい気持ちがあります。

しかし、昨日も書きましたように、カミングアウトする相手によっては、いらぬ誤解を招くよな、という危惧もあります。

一昨日、報告しました「障害学会」には、精神障害者当事者の会員も在籍しており、
しかも当事者としての立場を明言したうえで積極的に研究報告をされる人も少なくありません。

僕たちの病気も、精神的な疾病であるならば、必要以上に隠すべきではないのかもしれません。

どうなのでしょうね。


今日は、僕たちは断酒ライフを頑張らなければならないのかという点について、考えてみたいと思います。


僕が最初にお世話になった消化器科の先生に診察の際にこういわれたことがありました。

「がんばってお酒をやめてはるので、数値が改善していますね。」

先生のこの言葉は、純粋にお褒めの言葉であり、そしてこの状態を継続するようにという励ましの言葉でもあります。

しかしこの言葉を聞いた僕は、ほめられたにもかかわらず、少なからぬ抵抗感を感じました。
そして先生に言い返してしまいました。

「先生、頑張っているとは言わないでください。もし僕が頑張っているとしたならば、頑張れなくなった時にすぐに元の危険な状態に戻ってしまうことになります。」

僕は頑張るという言葉の中に、何らかの目標のために無理をしているというニュアンスを感じてしまうのです。
そして無理はやがては限界に達してしまい、僕たちの言葉ではスリップを引き起こしてしまうことになります。

つまり僕は、頑張らない断酒ライフの継続が大事ではないかと考えていたのです。

今でもこの考え方は変わっていないと思います。

しかし少なからぬ皆さんからのスリップ体験の報告を読むと、
やはりスリップという落とし穴は僕たちの周りのあちらこちらに空いており、
僕たちは慎重に行動しなければならないことを、改めて考えさせられます。

僕たちはスリップという罠に陥らないために頑張らなければならないのでしょうか。

頑張ることはしんどいことです。
できる限りしんどいことはしたくありません。

でも頑張らないと、あちらこちらに仕掛けられたトラップに引っかかってしまいます。

僕の、頑張りたくないという意識がわがままなのでしょうか。

アル症ではないひとは、飲酒に関して特に頑張って何かを心がけているということはないでしょうね。

飲みすぎないために頑張る、というのもあまり聞きませんし、
飲酒運転をしないために頑張る、というのももちろん、聞きません。

僕たちは頑張らなければならないのでしょうか。

それとも気楽に頑張るということがあるのでしょうか。

個人個人の意識の問題として考えてもややこしいのですが、
他人から見た印象という点を考えると、さらにややこしくなりそうです。

結論らしい結論はすぐには出せそうにありませんが、
また考えてみたいと思います。

頑張る、頑張らないは別としていつものように

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。