僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

僕の1人称

ワンノートサンバ・リスボン、58歳。58歳最期のブログです。

本日もリスボンの、好き勝手・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。



昨日からブログ名を改めております。

旧名が「アル中男子の断酒の日記(にき)」で
新たな名前が「僕のワンノートサンバ・僕の断酒の日記」です。

サウンドの語呂という点では前の名前のほうがたぶん、優れているでしょう。
リズム感もいいし。

新しい名前は少しばかりしつこい印象があります。

なぜしつこい感じがするのか、理由ははっきりしていまして、「僕」という甘っちょろい1人称が2回も現れるからですよね。

いつも冒頭で告っていますように僕は58歳、明日は59歳、はっきり言って「僕」という年齢ではありません。

でも僕は僕について語るとき、「僕」という1人称しか思いつきません。

もちろん、少々荒っぽい口調にするときは、「俺」とか、あるいは関西人であることを意識して「ワシ」を使うこともあります。

ただ、「私(わたし、或いはわたくし)」を使うことはほとんどないですね。

これはブログ上だけではなく、実際の生活でもそうです。

大学の会議や、学会で発言するときも、「私」という言い方はしません。

まず、すっと口をついて出てきません。

自然に話をすれば、多少堅苦しい場では「僕」、くだけた場では「俺」ですね。

多分、「私」という言い方に、テレのような戸惑いがあるせいだと思います。


「私」といってしまうと、何か1人前の市民として発言しているような感じがします。
僕が1人前の市民であるかどうかはさておき、
僕自身としては、ある一定のレベルで完成した人格として自分をとらえることができない、ということがありそうです。

僕は、まだまだ発展途上、教わること、勉強することがまだまだ山盛りあります、という意識です。

ようそんなんで厚かましくも先生してんなぁという非難の声が聞こえそうですが、
僕の考えでは、まだまだ学ぶ身であることを自覚しているからこそ、少し後から追っかけてくる若者たちの導き手になれると思っています。

学ぶ心を捨ててしまえば、逆に教師失格だとも思っています。

そんなわけで僕は、死ぬまできっと僕でしょう。

ましてや、アル症および肝硬変を患いました。
これらの疾患について自分の問題として勉強しなければなりません。

また若者たちには、広い意味での薬物依存症、薬物使用障害に陥らないために、僕の経験についても語っていきたい。
語るためには学ぶ必要があります。

少しだけかっこつけさせてもらうと、僕は永遠の学徒です。

日本語は面白いですね。
人称代名詞だけでも相当いろいろなことを語ったり匂わしたりすることができます。
英語にこの技はありません。

いつまでも尻の青い前期高齢者の勘違いブログ、今後もよろしくお願いします。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。