本日もリスボンの、たまには仕事がらみ?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
僕は人に研究の専門分野を尋ねられた時には、
「障害学・芸術学」
という具合に、ナカグロ(・)を使って二つの領域名をくっつけて答えることにしています。
もちろん、旧来の学術領域にこんな名前の分野はありません。
しかし僕の仕事を、障害学だけに含めてしまうのも、芸術学だけに限定してしまうのも、おさまりが悪く落ち着きません。
おさまりが悪いことを解消するためにおさまりの悪い名称を無理やり名乗っています。
今日あげた写真は、そんな僕の研究活動の、少しばかり色物系の成果の一部です。
僕は10年ほど前から、日用品を大量に用いたアートインスタレーションに取り組んできました。
なぜ日用品を大量に用いるかということについては学術論文としてまとめてありますので、
内緒のコメントでお尋ねください。
内緒のコメントでお尋ねください。
今回は、高校生を対象とし、素材は洗濯ばさみを用いました。
僕はほかにも、紙コップ、ビニールテープ、トイレットペーパー、レジ袋などを素材として取り上げてきましたが、
その中でも洗濯ばさみは、意外に融通の利かない、厄介な素材です。
その中でも洗濯ばさみは、意外に融通の利かない、厄介な素材です。
あえて面倒な素材に対して高校生たちがどのように取り組んでくれるのかというのが、今回の僕の興味の中心でした。
しかも今回の高校生たち、全員が登校拒否の経験のある子たちです。
もちろん、そんな偏見で生徒たちを見てはいけないのですが・・・
もちろん、そんな偏見で生徒たちを見てはいけないのですが・・・
思った以上に、元気に、かつ積極的に取り組んでくれました。
同じ課題を大学生に取り組ませることもありますが、どうしてどうして、高校生も負けてはいません。
大学の授業で1,2年生を担当することが多い僕は、
ここ10年ほどの日本の中学校や高等学校の勉強がどこかおかしいことは感じています。
こどもたちの基本的な教養を身に着ける能力は、妙なベクトルで歪まされているようです。
ここ10年ほどの日本の中学校や高等学校の勉強がどこかおかしいことは感じています。
こどもたちの基本的な教養を身に着ける能力は、妙なベクトルで歪まされているようです。
しかしおかしいのは教育のシステム、つまりは大人たちであって、
こどもたちは意外にも素直であるという点は、
時代の変化には縛られない、普遍的な事実かもしれません。
こどもたちは意外にも素直であるという点は、
時代の変化には縛られない、普遍的な事実かもしれません。
僕たち大人の責任は大きいですよ。
僕たちは精神の一部を患ってしまいましたが、この子たちに僕たちと同じ轍を踏んでもらわないためにも、
僕たちは僕たちを見つめ続け、そして断酒ライフを断固として継続しなければならないのです。
僕たちは僕たちを見つめ続け、そして断酒ライフを断固として継続しなければならないのです。
寒くなってきていますが、燗〇なぞの誘惑に心を動かされてはなりません。
高校生の素朴なモノづくりに勇気をいただくことができました。