僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

飲酒者の一生

飲酒歴40年、断酒歴5年と6カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。

本日もリスボンの、たまには正面から断酒ネタ・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

本格的にブログの投稿を始めてから、ほぼ5年が経過しました。

アルコール使用障害の専門医の先生から、

断酒継続の一つの補助手段としてのブログの執筆を勧められたのが、

毎日投稿の直接のきっかけでした。

 

最初の頃は、断酒生活入門期のフレッシュな感覚を書き綴っていましたが、

再飲酒欲求の減退とともに、断酒に関する話題が少なくなってきました。

このことは僕自身にとっては、喜ぶべきことです。

断酒ライフの安定継続のサインでもあるからです。

しかし、たまには、正面から断酒の意義について、考えてみるのもいいでしょう。

 

断酒ライフ入門がもたらしてくれたものは、

それこそ、山のようにあります。

ホンマに山盛りのプレゼントをいただきました。

それらのプレゼントは、全てがリンクしているのですが、

その大元にあるのは、

断酒ライフによって生きることの意味がはっきりしてきたことでしょう。

特に僕の場合、音楽に取り組むこと、

ピアノと歌を通して、僕のジャズを作り出すことに、

僕の人生の核があることを見出しました。

 

僕にとって音楽は、飲酒者の頃から大事なものでした。

でも飲酒者の頃の僕にとって、一番大事なはずの音楽の横にも、

いつも飲酒という行為がありました。

もし、飲酒者の頃に神様から、

酒をやめれば最高の音楽のチャンスを上げるといわれたなら、

僕はどうしてただろう。

恐ろしいことに、悩みに悩んで、酒を選んでいたような気がします。

いや、間違いなく、酒を選んでいた。

 

大学院生の頃の僕は、

本当にまじめに研究に取り組んでいました。

でもその時にも、研究と飲酒がセットになっていました。

毎日の勉強も、純粋な学術的な動機とともに、

勉強の後の飲酒というご褒美と組み合わせになっていました。

研究者としてある程度、一人前になってからも、

研究発表を終えたのちの宴席がとても大事なニンジンだったと思います。

 

飲酒者にとって、日々の努力のご褒美、ニンジンとして飲酒を考えることは、

ちょっと考えると、よいことに思えるかもしれません。

でもよく考えてみると、

ニンジンは動機の一部ではなく、

ニンジンそのものが目的で、

僕にとっての勉強は、ニンジンを目的としていることの免罪符に過ぎなかったかもしれません。

つまり、飲酒者の人生とは、

飲酒というニンジンによって踊らされ続ける一生だということになりそうです。

 

断酒ライフの最大のおみやげは、

このバカげたご褒美行動から解放されることにあるのかもしれません。

 

アルコールフリーという生き方、

本当の人間としての人間らしさを取り戻した生き方だったんですね。

そこに入門できた僕は、ムチャクチャ、幸せモンということのようです。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、

LWoA Life Without Alcohol 断酒医ラフ、継続していきましょう。